その日、西暦2000年1月30日、私はブラックメサの西の端にある小さなホーガンでいつものように静かに目を覚ましていた。私の眼下に崖があり、その崖は、ペイント砂漠と呼ばれる一帯の景色のなかにのめりこんでいる。朝な夕な、この景色を私は何度見て来たことだろうか。それでも、その光景を見るたびに、私の心は大自然に対する崇敬の思いで満たされる。だがその思いは今日はとくに圧倒的だった。私の立つとにろから左、100マイルのかなたにドーコースリイド、つまりサンフランシスコ・ピークの姿が見える。その姿は古代のおもむきをたたえ、雪を被りながらそそりたつ。その標高1万1000フィート、その最高峰は周辺の景色のなかから、ただひとり天にむかってそそりたっている。それを取り囲む山々の姿は、アメリカ南西部と呼ばれるこの地域に住む13の部族にとって聖山としてあがめられている。そして4日前、祈りの歩み:プレイヤーウォークはこの山の麓からはじまった。だがこの聖なる山々は、少なからぬ数のひとびとが求める現代の享楽、スキー産業と、ジーンズに剥げた色を添えるためだけのピューミス発掘鉱山として、久遠の昔から保って来た古代の神聖さを奪われている。私とこの山の間、30マイルの向こうにはブルー峡谷とコール峡谷が、雪解けのとき、あるいは夏の短い豪雨のとき、色彩に富んだ激流を生むために横たわっている。頭をめぐらすとグレイマウンテンの姿、そしてその隣、80マイルの北に見えるのはグランドキャニオンだ。晴れた日にその方向を望遠鏡で覗けば、サウスリムの塔すら見ることが出来る。この時期、太陽はサウスリムに沈み、そして春分の日に向かって、その姿は北上を続け、最北にいたる夏至の日、ノースリムに日没は見られる。

また、グランドキャニオンを望んでその手前、15マイルのさきに見えるのは小さな白い大地である。さらに近く、10マイルさきに見えるのは小さな円錐を伏せたようなウィルキャットの峰、そしてその麓にレッドレークの村がある。私はウォークの旅の参加者が、昨夜、つまり最後の夜をこの村で過ごしたことを知っていた。そして村人たちはこれら参加者に最大の歓待の気持を表すために食べ物を選び、その夜は音楽の演奏と踊りと、祈りと祝賀でひとびとは過ごしたのだ。多くの参加者がのちに、この夜地元のひとびとから示された歓迎によって、この日はウォークのひとつの山場であったと私に語ってくれた。レッドレークは、ビッグマウンテンから退去を強いられたひとびとがその人口の大部分を占める。

このレッドレークから40マイル北にホワイトメサがある。それはその名の通り白い大地であるが、太陽の光にはえて、その色を青、ピンク、黄色に変える。さらに頭をめぐらすと、180度にわたる展望の最後をナヴァホマウンテンが、ユタとの州境を区切っているのが見える。それは標高1万フィート、鉢を伏せたような姿のこの山も、周辺に住む全ての部族が聖山としてあがめるものである。

これらのすべてが私を取り囲む。そしてその時、私の呼吸は実際に止まるわけではないが、この雄大な姿を眺めるたびに息は止み、そしてはずみ、心臓の鼓動が激しく踊るのを私は覚える。この日の朝、日昇のすぐあと、私の耳に届いたのは優しい太鼓の響きだった。私はその時、ウォーカー達はついにレッドレークの村から、この山に向かっていること知った。私はそのひとびとが、蛇のようにくねった列をなしながらこちらに向かっているのを、崖の上に立ちながら何時間もあきらめずに見つめていた。その列は静かに、だが確実な歩調でこちらに向かって来る。やがて、「南無妙法蓮華経」の題目の声すら、やましに近くなる太鼓の音とともに聞こえてくるのがわかった。眼下にさらに広がるのは、ひとびとに嫌われながら、ひとびとをお互いから、そして大地から切り離す鉄条網の長いうねりであった。だがひとびとのうねりの列が、ひとりひとりの数を数えられるほどにまで近づいて来るのが見えた。私はそれをひとりひとり丁寧に数えた。全部で50人が、人間による、この美しい蛇行を構成していた。やがてその列はついに鉄条網に達した。そしてウォーカーたちは互いを助け合いながらそれを越えて行く。そのとき、崖のうえからそれを見ている私の視界が、なんの前ぶれもなく曇った。その時私は突然、心の深いところから、静かな嗚咽がうねりのようにつきあげて来るのに気づいた。そこに立ったままのつぎの20分の間、最後のひとりが鉄条網を越えるまで、私はまたたきもせずその姿を見つめていた。涙がとめどもなく頬を流れていた。

ああ、こんな風に泣いたのは5年ぶりのことであろうか。そしてこの涙はなんのためなのだ。だが少なくともこの涙は、痛みから来る涙ではないことを私は知っていた。それは大きな、たとえようのないエネルギーが私の体を突き抜ける、そのための涙だったと知っていた。そのエネルギーは、私の存在の小ささを私に思い知らせ、それでいながら私の中をたとえようのない喜びで満たしているのがわかった。それだけは確かだった。そしてその後の数日を、私はその涙の意味を考えながら過ごしていた。私がその思考のあとで達したものは、つぎのような結論だった。この鉄条網は牢獄である。その内側に住むひとびとは、そのなかで24時間監視され、その動きを計られている。ひとびとはここではすべての活動を極度に制限され、なにをするにも、権威主義で振る舞うその筋の承認を得ずには許されないのだ。そしてここに住み、それら権威主義者の要求する書類に署名することを拒否しているひとびとは、牢獄の看守のように振る舞うその筋から、囚人、いやまるで人間でないものとして扱われている。この図柄は牢獄と寸分も異ならない。だがいま私の涙が見たものは、多くの苦難を越え、多くの犠牲を払いながら、ひたすらに祈り続けるひとびと、その信じがたい一団の群れが、この牢獄のなかに足を踏み入れている姿だった。この鉄条網をいま越えることによってこれらのひとびとは、この鉄条網が作っている障壁を突き崩し、そして鉄条網がひとびとの上に押しつけている幻想を突き破っている。それはかけがえのない大きな希望と救いの姿だった。

つぎの2日間、ひとびとはビッグマウンテンに向かって、聖なる山々のなかでももっとも聖なる祭壇に向かって歩いていた。その道筋は、かつてこの山の住民にとっては交通の主要街道、馬の背にゆられながら行き来する道だった。そこにはいま、ごくまれにしか歩く者はない。なぜならこの道を歩いたひとびとはすでにどこかに追いやられ、残ったひとびとの動きも大きく制限され、いまやその道筋すら、夏草に埋もれているのだ。だがいまこのひとびとは、それを一歩一歩と踏みしめていくことによって、その道をふたたび蘇らせていた。それはまるでふさがっていた動脈が、またはせきとめられていた流れが復活を見たようであった。

過ぎた日々の私の命は、度重なるよい思い出で満たされて来た。そしてこれらウォーカー達と知り合った日は、それらの日々の中でもっともすばらしいものとなった。私はこれらのひとびとと、ひとりひとりに言いたい。ありがとう、ありがとう、そして最後までありがとう、と。私たちはすべてどこかでつながっている。そしてそのつながりをこのひとびとに置くことが出来たことによって、私の心はこのひとびとの心の琴線に触れた。私はそのことをこのうえない名誉と思う。

私はだからいま思う。
私たちはえてして、このような問題をビッグマウンテンのひとびとに強いているもの、つまり戦争屋たちの力を過大評価しがちなのだ。そして私たちは、戦争屋たちの力はどこにまでも及ぶものだと思いがちである。なぜか。私たちはそう過大評価することによって、自分たちのなかにある力、ひとりひとりが持つ偉大な力を無意識のうちに恐れ、認めまいとしている。私たちはその力を発揮することを恐れている。だがここ数週間、私はその力を恐れないひとびとをこの眼で見続けてきた。そしてその力を他のひとびとの力とあわせ、偉大なことがらを成し遂げたひとびとを見た。

聖なる山、ビッグマウンテンで、それらのひとびとによって多くの希望が湧きだすのを私は見た。
この小文を読んでくれたみなさまも、この力を感じたと私は深く信ずる。
人生とは、なんと素晴らしいものではないか。

ここからの敬意とともに。
日本のウォーカーのみなさまへ

ジェイク
ビッグマウンテンのロバータ・ブラックゴートの
ホーガンに住みサポートを続ける。
イギリス、ウェールズ出身。