出発点である位山について


 ビッグマウンテン同様、伝説と神秘の聖地、位山は、ヤポネシア本島のタテとヨコの山脈が交わる中部山岳地帯、いわゆるフォーコーナーズの中央に位 置し、山頂に太陽神殿があることでも共通している。  飛騨地方では、先住民の巨豪両面宿儺の怨霊が封印されている“祟り山”として畏怖されているが、古文献では神々のふるさと高天原とも、幻の日霊王朝の主神殿ともいわれ、古神道では列島最大のパワースポットとされている。

 「ひとつの偉大なサイクルの終わる日」といわれた1987年8月16日、ビッグマウンテンの伝統派長老会議の要請により、私たちは "日本のビッグマウンテン" に比定された位山に、ディネ族のメッセンジャー、バヒ・キャダニイを迎えて、「母なる大地に祈る集会」を開催した。

 その日は南北アメリカ大陸でも、アズテク暦を使っている種族のうち、14万4000人の選ばれた人々が、残された人々の覚醒を手伝うためサンダンスを踊ったのだが、同時に太陽のシンボル・マークを持つ国でも、最低百人の選ばれた人々が祈りを 捧げないと、地球のバランスが狂うと言われたのだ。

 地球のバランスを保つための位山集会は、8月17日早朝に登頂し、太陽神殿と言われる巨岩遺構の前で、四人の祭司によって四つの儀式が執行された。

 赤色人種を代表してバヒ・キャダニイがディネのセレモニーを、黒色人種を代表して石狩アイヌの豊川重雄エカシがカムイノミを、黄色人種を代表して日本山妙法寺の島貫潤二上人が南無妙法蓮華経を、白色人種を代表して白光真宏会の両角宏美女史が「世界人類が平和でありますように」の祈りを捧げた。なお、『ホピの予言』の宮田雪監督を通 して、「日本のビッグマウンテンは位山である」ことを教示したのは、両角女史である。

 この日のネイティヴの祈りは、翌年「'88 いのちの祭り」で開花し、ホピ国のパスポートを持ったトーマス・バンヤッケ氏など、沢山のネイティヴ・アメリカンを迎え、熱い出会いを果 たした。そしてここから、セイクレッド・ランやサンダンスなどへの日本人の参加が始まり、先住民運動が注目を浴びた。

 あれから12年、ビッグマウンテンのデッドライン(最終強制移住期限)である2000年2月1日を目前にして、再びバヒ・キャダニイが来日し、なおも頑固に抵抗している数名の長老たちを代弁して、「聖地を守る人が消えた時、世界のバランスが 狂う」と警告した。そしてビッグマウンテンへの行進については、その出発点を位 山とすることを要請していった。

 年の瀬も押しせまった師走5日、ビッグマウンテンと縁の深い大鹿村のアキを迎えて、地元高山の有志10数人と共に位 山七合目まで車で登り、太陽神殿の前で、ビッグマウンテンへの行進の成功を祈願した。

 この太陽神殿は山頂の自然石のものとは異なり、郷土の仏師にして霊能者都竹峰仙師によって建立されたジェラルミン製の球体であり、二頭の人面 龍によって守護されている。位山に群がる新々宗教の俗化から、その神聖を守って来たのは都竹師の威光である。12年前の「母なる大地に祈る集会」は、師の賛同と協力のもとに行われた。

 今回のセレモニーは“守り人”である私が祈願文を読み、ビッグマウンテンと縁の深かった人の故人、ニッパチ(日橋政男)と島貫上人を偲んで「南無妙法蓮華経」と、ホピの予言通 りチベットの「オム マニ パドメ フン」のマントラを唱えた。

 行進団は大晦日を、両面宿儺を開基とする千光寺のログハウスに投宿し、2000年正月元旦に位 山山麓の分水嶺にて初日の出を拝んでから、海の彼方のもう一つの太陽神殿に向かって歩き出すのだ。Y2Kの狂気の押し寄せるなかを。

位山の守り人  ポン 山田塊也