デイリーレポート



2/1(火) 快晴

 まだ暗い5時頃から、日本山の朝のお勤めの太鼓が鳴り響き、目が醒める。夜明け前は本当に寒い。テントの中のペットボトルの水が凍っていたほどだ。アメリカに来てからというもの、毎日の食事を、こんな寒い朝も早くから起きて準備してくれているのが、長野から一緒に歩いてきたカズさんである。今回はいろんなカズさんにお世話になっている。大鹿村のカズさん、穂高で木工クラフトをやっているこのカズさん、そしてマサチューセッツ在住の通 訳で大活躍の若干19歳のカズくん。3人まとめてありがとう、そしてご苦労様です。

 今朝の日の出は神々しくて美しかった。朝日に向かってみんな手を合わせていた。いよいよ迎えたデッドライン・デー、強制移住期限日。ナバホとホピの部族政府同士が話し合い、事前に2/1は強制執行しないと(しかし強制移住は必ず行うとも言明していた)双方から発表されてはいたものの、本当に何も起きないことを祈るばかりである。そして今日が実質的な最後のウォークでもある。いつもと変わりない和やかな朝ではあるが、どこか緊張感のある、はっきりした朝だった。

 アメリカでのウォーク初日から断食してきたのだが、今日は永井からパイプを持ってくれと頼まれ、ありがたく受け取り、先頭を歩くことになった。多くの日本人の想いと共に日本から運んできた日橋さんのパイプを、ビッグマウンテンの大地を守ってきたディネとホピの人と我々肌の色を超えたサポーターが共に吸うことで、ディネとホピの人の心が、ビッグマウンテンとそこに住む人々が、そしてマザーアースと人間が、末永く調和を保ち続けられるように願い、明日のパイプセレモニーにフォーカスして始めたものだった。僕の他には、ハルやタイ君や洋子ちゃんなども4日間断食していた。ここの場所がらか、つらい断食では全くなかった。空腹に耐えきれない感覚はなかったし、頭はシャキッとしているし、体調もすこぶる良い。人はお腹を満たすために食べるが、大切なのはエネルギー(カロリーではない)だと思う。この聖なる大地はエネルギーに満ち溢れている。少々食べなくても、大地や太陽や仲間達やまわり中から元気をたくさんもらえる。いのちのエネルギーこそが、人を元気に生かしてくれている、そう実感した。

 今までは警察からの指導もありフラッグを掲げずに歩いてきたのだが、もう道路を歩くわけではないので、今日こそは全てのフラッグを掲げて歩こうということになった。日本から持参した6枚のフラッグに、岡野君たちが持参したサークル・レインボーのフラッグが、新たに2枚加わった。今日も道なき道を歩いた。道案内はビッグマウンテンのサンダンサー マーシャルがしてくれた。彼は何も言わず、ずっと先を歩いていく。あっという間に向こうの丘の上に行っており、姿が見えたかと思えば、サッと姿を消してしまう。まぎらわしい分かれ道では、矢印が地面 に書かれていたが、彼の姿は見えない。足跡だけを追っていると、動物達の足跡と混ざり横道にそれてしまう。後ろに一列になって自分についてくるわけで、道を間違えるとみんなそっちに歩いて来るので、責任重大であった。目だけで追うのではなく、自分の感覚を開いて自然の中に道を見ていると、動物達が歩いている道が見え、マーシャルが通 っていった道が見え、何とか彼をフォローすることができていた。修行のようなゲームのような不思議な体験だった。マーシャルが案内した道は、ホース・トレイル(馬の道)であった。彼は乗馬の名手であり、このあたりの馬の道を熟知していた。そして馬はディネにとっては聖なる動物であり、馬の道をパイプが歩くことはとても良いことであった。

 キャニオン(渓谷)を下りきったところで後ろを振り返ると、長い長いカラフルな行進の列が、ず〜っと続いていた。100人余りがつらなり、続々とヘビのように、ドラゴンのように下りてくる。レインボードラゴン! 日本で毎日感じていたこの言葉が、久しぶりに蘇ってきた。キャニオンを登りきったところで昼食となる。朝から別 行動していたハルとカズ君が合流した。サンフランシスコでフロイド・ウェスターマンがオーガナイズしたデモ行進の会場に、ウォークを代表して電話でメッセージを送ってくれていたのだ。他にもレッドウッドの森を守るために木の上に2年間住んでいた女性環境活動家ジュリア・バタフライさんのメッセージも寄せられたという。行進には約1,100人が参加し、大成功だったようだ。今日はワシントンDC、ツーソン、シアトル、フラッグスタッフ、ドイツ、ほか、世界中で様々なフリー・ビッグマウンテンのアクションが行われた。日本でも守屋山に高遠や大鹿の人達が集まって祈っているはずである。


 今日の目的地、ディネ独立国大統領のエルダー ロバータ・ブッラックゴートの家には、約16マイル(約25.6km)歩いて夕方到着した。かつてこの土地のエルダー達が中心になって、強制移住問題に屈服することなく、ここは自分達の土地であり国であることを宣言し、独立自治を目指したのが、ディネ独立国であった。家の前の広いセージの草原にはセイクレッド・ファイア(聖なる火)が焚かれ、大きな杖状のスタッフが刺さっていた。ぐるっと大きく火を囲むように時計回りに円を描いて入って行き、サークルをつくってスタッフの前で止まった。約130人の大きなクロージング・サークルができた。そしていつものように南無妙法蓮華経を全員で唱え、ウォークの祈りを終えた。続いてロバータが挨拶をしてくれた。90歳近くなる彼女は、大きな声が出ないし、腰も曲がり足も目も弱ってきているが、気はシャキッとしていた。ずっとストラグルし続けてきた強さが、小さな体中から溢れていた。この年のディネのエルダーには珍しく、英語でのスピーチであった。バヒやハルなどもスピーチし終えてから、ロバータから順にサークルの内に入り、内向きのサークルの人に向かって外向きに顔を合わせながら、時掘! wv回りで一人一人に握手挨拶をし(つい話が弾むと後ろがつっかえてしまう)、サークルを一人づつ開いていった。

 1/1元旦、飛騨高山の位山を出発してからちょうど一カ月かけて、思えばずいぶん長い道のりをようやくここまでたどり着いた。何の妨害にあうこともなく、トラブルらしいことも一度も起きることなく、パイプを無事にビッグマウンテンまで運び届けることができた。位 山から東京までの間一緒にウォークした数多くの日本に残る兄弟姉妹達の祈りを、世界中から集まって来た虹色の兄弟姉妹達(レインボー・ピープルが多かった)の祈りと共に、遠く地球の裏側からここフォーコーナーズを奥深く入った亀の島(北米大陸)の中心部に住む大地の守り人と言える最後のインディアンのエルダーが残るビッグマウンテンまで、一歩一歩を祈りながら歩いて運ぶことができた。この達成感は何とも言い表すことができないものであった。一人一人の顔を見、握手をしながらこみ上がる想いは、ハルのところで思わず涙となってこぼれ出してしまった。全員と握手をし終えると、聖なる泉の水を一杯づついただいた。少し甘い、とても美味しい水であった。

 握手をし終え、自分の中から溢れ出た感情はやがて感謝の祈りへと変わり、サークルから少し後ろに下がって「サンキュー・ソング」を一人で歌い始めた。「ワカンタンカ タンカーシラ ピラーマヤ ウェロウェー…」 この歌はラコタ民族の歌で、サンダンスの時に必ず歌われ、偉大なる精霊や偉大なる神秘に感謝を捧げる歌である。いつの間にか横で、ビッグマウンテン・ストラグルの中心人物で片腕のサンダンサー コデールが一緒に歌ってくれていた。その後、握手を終えた者達が続々と横に並んで一緒に歌い出してくれ、気がつけば全てのフラッグが勇壮に大きく振られ、同じ歌が元気で希望を感じさせるものへと変わり、太鼓がアースビートを刻み、僕はサンダンスのように大地を一歩一歩踏みしめながら踊り出していた。嬉しい気持ちが全身にこみ上げてきて、顔には笑顔がこぼれ出した。横を見るとみんなニコニコしている。喜びの「サンキュー・ソンング」は、最後の一人が握手を終えるまで歌われ続けた。

 アメリカでのウォークのクロジング・サークルを終え、ホーガン(土壁でドーム型のディネ伝統の家)にパイプやスタッフを置き、家の前に行くと食事の列が出来ていた。サンダンスが終わった夜は、必ずフリーキッチンで豪華な食事が全員に振る舞われる。その時の感じを思い出させた。パイプセレモニーは明日だが、今日で一仕事終えた感じがしてここまでで十分と納得し、僕も列に加わった。本来断食明けは重湯から飲み初めて、ゆっくり戻していかないと体に良くない。急に食べ始めるとお腹がびっくりするからと、ゆっくりと少量 づつ食べ出したのだが、一度食べ始めると元々が大食いで食い意地が張っているタイプなので、一気に餓鬼道に入って、お腹パンパンになるまで一晩中食べ続けてしまった。
食べれるって、本当に幸せだ。

 日本人キャンプのキッチン横の焚き火の所には、ひっきりなしに来客があり、次々と情報がもたらされた。なんと今日、ピーボディ社の採掘場前には100人以上のピーボディのセキュリティ、ホピとナバホのBIA警察、シェリフ、ステイト・ポリスにレンジャー、FBIまでが動員されて、我々ウォークがやってくるのを待っていたらしいのだ。ホピ部族政府の建物やディネビトの橋などに爆弾を仕掛けたというイタズラ電話の爆弾騒ぎがあったこともあり、神経過敏になっていたのだろう。もちろん我々を歓迎し一緒にウォークするために、ディネの人達も大勢集まっていたという。それにしても、プラカードも掲げずただ祈り歩いているだけなの少数グループに対して、なんという対応だろう。あるアメリカ人が言っていた。「彼らは全ての力を使って、抵抗したって無駄 なんだと、圧倒的な力の差を我々に見せつけたかったんだ」と。昨年末、シアトルで起きたWTO(世界貿易機構)での一方的なデモ武力鎮圧事件の前例もあることだし、もし予定通 りピーボディに行っていたら、一体全体どうなっていたことだろうか…。これもパイプの導ぁ! wLによるものだろう。ピーボディに行かなくて、スネーク・インで忍者ウォークしてビッグマウンテンに入れて、本当に良かった。我々の行動は誰も分からなかったようで、チューバシティ近郊ではホピのBIA警察が道路を行ったり来たりして我々を捜していたらしい。他にもビッグマウンテン・サンダンスのアナメイ・キャンプに行くという噂も流れ、こちらでも大勢待ってくれていたらしい。

 ポーリーン・ホワイトシンガーもやって来てくれた。彼女からのメッセージを読んで、ずいぶん多くの人が心を動かされ、署名をしてくれ、このウォークに参加してくれた。そのことを伝えると、彼女からも「実の息子がトライバル・カウンシル(ナバホ部族評議会)のメンバーで、強制移住を進めている立場にある。あなたたちは自分の子供達のようだし、誇りに思う。」など、ねぎらいの言葉をもらった。

 プラネタリウム以上の、こんなに星はあったんだと驚くような満天の星空の下で、あちこちで焚き火が焚かれ、ディネと日本人と世界中から集まった白人サポーター達の語らいと笑い声が、夜遅くまで静かに響いていた。

 [文責:あきお]