1/27(木)快晴
昨日の雪がウソのように晴れ渡るが、冷たい空気が肌を刺す。霜が降りて路面
がツルツルになっていて、車の窓ガラスも凍って真っ白である。朝6:00、日の出前に集合し、サンライズセレモニーを行うサンフランシスコ・ピークス山の南西側に位
置する「ホワイト・バルカン・パミス採掘所」(White Vulcan Pumice Mine)に向かう。
こちらの夏は日が長いが、冬の日の出・日没時間はほぼ日本と同じだ。
サンフランシスコ・ピークスはホピやディネにとって重要な聖地である。八ヶ岳のような連山で、サークル状につながっているが、馬の蹄鉄のように東側が開いている。夏になると真東から太陽が昇るが、サンフランシスコ・ピークスの東側に開いている口と真東の太陽とを結ぶ線上には、ピタッと二つの火山がある。真東に太陽が来る日(夏至)、このレイラインで結ばれたの太陽の光に乗って、ホピが敬うカチーナ(精霊)がサンフランシスコ・ピークスに帰って行くと言われている。また冬は日没の太陽が真西からサンフランシスコピークスに差し込み、その光に乗ってカチーナはホピの村にやって来ると言われている。つまりサンフランシスコ・ピークスはカチーナの棲む神聖な山なのである。ところがこの聖地も、スキー場開発や鉱山開発、ジーンズのストーンウォッシュ用の軽石の採掘などで荒らされ始めている。
地平線が鮮やかなピンクとパープルとブルーとイエローの層になり随分明るくなってきた頃、パインツリー(松)に囲まれわずかに山の斜面
を登り始めた辺りの、セレモニーを行う場所に着く。とても寒く、火を起こして準備が整うのを待つ。ちょっと離れた場所で、バヒはシーダー(桧系の葉で、強い浄化作用がある)を焚き、スマッジ(セレモニーの前は必ず人や道具を煙で浄化する)しながら、昨晩、江美ちゃんと洋子ちゃんがつくった杖状のスタッフにタバコタイズとイーグルとホークのフェザーを結びつけて仕上げ、セイクレッド・パイプを組んでタバコを詰めた。7:00頃太陽が昇る。金色に輝く神々しい朝日。皆、手を合わせて祈っている。 7:30頃、全員で火を囲んで大きなサークルをつくり、一人一人順に自己紹介した。72名集まった内、半数近くが日本人、4割が白人、1割がインディアン。男女はほぼ半々。全米中のみならず、アラスカやドイツやスコットランド、ペルーからも参加している。レインボーピープルもドレッドのヒッピーもいる。全員をスマッジし、永井が日本から持ってきた日橋さんのパイプを、光(ミツ)が同じく日本から持ってきたスタッフを、バヒが先ほど詰めたパイプを、白人ウォーカーが先ほど仕上げたスタッフを持ち、朝日に向かって一列に並んで捧げ持つ。全員でフォー・ディレクション・ソングを歌い、バヒが四方のスピリットと大地と天に祈りを捧げた。続いてかつてのディネ独立国の大統領ロバータ・ブラッグゴートの代理人の女性が挨拶をした。英語はよく分からなかったが、深い悲しみを乗り越えてウォークに託す希望の祈りを感じた。ビッグマウンテンに住み続けるロバータには昨年会いに行ったが、足が弱って寝たきりであった。インディアンの場合、部族のリーダーは女性の場合が多く、ロバータのようなクラン(氏族)マザーが力を持っていた。コントロールしたがる男性より、母なる女性がリーダーシップを持つ方が良いと思う。21世紀は女性の時代に、女神達の時代になると良いと思う。だって男達が地球をここまで汚染して、戦争と殺戮を繰り返してきたのだから。
10:30頃、いよいよアメリカでのウォークはスタートする。先頭を歩くのは、日橋さんのパイプと、日本から持ってきたスタッフ。続いてバヒのパイプと、アメリカでつくったスタッフ。その後に大鹿の鹿の角と、鷹の羽の付いたスタッフ。フラッグ類は車の運転手の注意をひき、脇見運転の原因になるため禁止された。ポンさんからのフラッグにはバヒの要望で「SAVE
BLACK MESA PRAYER WALK」と新たに書き入れ、サポートカーの後ろに巻き、車はウォーク隊の最後尾についた。
行進参加者は40名。フォレスト・サービス・ロード(林道)を経由して、サンフランシスコ・ピークスをおり、ハイウェイ89を北へアンテロープ・ヒルズに向かった。アトランタ在住の市川庵主さん、ニューヨーク在住の安田庵主さん、飯能在住で参加の長年フリー・レナード・ペルティエ活動を続けているタイ君、シアトル在住の元上人の幸島さん、ニューヨーク在住のピーターとカズ、マサチューセッツ在住のエリック、そしてハルとエクストラの太鼓の、計9つの日本山のうちわ太鼓が鳴り響く。このビートがウォークのビートとなる。南無妙法蓮華経も、賛美歌のように美しいコーラスを成し、とても気持ち良い。大半のウォーカーが、日本人以外も南無妙法蓮華経を唱える。チベット仏教の「オーム・マニ・パドメ・フーム」と同じように、日本の仏教のチャンティング(真言)として素直に受け入れているのだろう。歩き始めれば、日本でのウォークとスタイルは変わらない。今回は本当に日本からウォークがつながっているんだと実感する。ただ違うのは、大勢の英語を喋る人達と、抜けるように青くて広い空、遠くに浮かぶ巨大な雲、見渡す限りの地平線、赤い砂の大地に乾いたブッシュ(草。セージに似た草も多い)とジュニパー・ツリー。ウォーク隊もすごく絵になって見える。カメラマンのカツミさんも光が全然違うといって、日本での白黒フィルムからカラーポジに代えた。
フラッグスタッフのローカルテレビ局NBCの取材と、ローカル新聞「ARIZONA
Daily Sun」の取材が入った。地元でも関心が高いらしい。バヒがインタビューの受け答えをした。
夕焼けも東の空の地平線がピンクとブルーに色付いてとても美しかった。太陽が西の地平線の丘の向こうに沈むと、その上にぽっかり浮かんだ雲が虹色に光っていた。誰もが初めて見る虹の雲。日本での逆さ虹、太陽の虹に続いて、さっそくスゴイ虹を見せてもらった。
今日の到着点から車で移動して、宿泊するナバホ・リザベーション(居留地)内にあるキャメロン・チャプターハウス(集会所)に着いた時には、辺りはすっかり暗くなっていた。キッチン付きの小ホールで、夕食に関しては日本人用の食材を昨日買い出していたのだが、我々だけで食べるわけにはいかないので全員分作り、フリーキッチンにした。食材はあっと言う間になくなり、明日再び買い出しに行くことになる。キッチンについては地元サポートグループが動くものだと思っていたので、自分達の分しか用意しなかったのだ。このままだと日本で頂いたカンパを、ビッグマウンテンのおばあちゃん達に持っていくことなく使ってしまうことになりかねない。明朝のサークルで、今後の食事のことについて話し、全員からドネーションを募る提案をすることになった。夜、キャメロン地区のプレジデント(代表)が慰問に訪れてくれた。バヒ曰く、ここキャメロンの人達はウォークをとても歓迎してくれているとのこと。明日は地元から多少の食事の差し入れもあるという。すごくありがたい。
日本から大地を一歩一歩踏みしめて歩いてきたウォークは、その祈りをここ亀に島(インディアン達は自分達の住む大地を亀に見立てている)に届けに来た。日本からビッグマウンテンに虹をかけるために。ウォークを導いているのは、故日橋さんのパイプである。日の橋とは、太陽のつくる橋、つまり虹のことだと思う。なんだか日橋さんがグレートスピリットに頼んで、節目節目で虹を見せてくれている気がしてしまう。日本で赤い肌、白い肌、黄色い肌の人と共に歩いたウォークが、さらに多くの白い肌、赤い肌の人達と共に、今また同じように歩き始めた。しかもこの亀の島の4つの方向のみならず、地球規模で西は日本から、北はアラスカから、東はヨーロッパから、南はペルーから集まってきている。アメリカ人は日本人に比べて自己主張が強いが、ささいな違いを乗り越えて調和し、ぜひともビッグ・グローバル・ファミリーとなって、一つの心、一つの祈り、一つのウォークを続けて行きたい。そうすればこの星地球をぐるりと包む、大きな虹をきっと掛けることが出来るだろう。
本日の歩行距離17マイル(27.2km)
[文責:あきお]
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