1/19(水)晴れ
今日、レインボードラゴンウォーカーズは、高尾山入口からスタートしました。
まず高尾山にトンネルを掘って圏央道を通すという場所に行き、祈りを捧げました。この場所は地下水が多く、龍を奉る神社があり、そこに行き、Free
Big Mountainを祈りました。
このあと、ウォーカーたちは日の出村に入り、日の出ゴミ処分場ゲート前(左写
真)に行き、日の出村の人達と出会いました。日の出村の人や、日の出の森・水・命の会の人達と出会い、一緒に処分場敷地内の中にあるトラスト(共有地)に行き、Free
Hinode Villageの祈りのセレモニーを行いました。ここで日の出村の人達のGood
Spiritを頂きました。本当にありがとうございました。
今日は自然環境問題がリアルに起きているところに行くことになりました。こういうこともGREAT
SPIRITのお導きだと思います。Big Mountainだけでなく、日の出村や高尾山の問題など、様々な問題がある。この地球が全て良い方向に行くように祈っていきたいです。自分も地球の一部だし、隣の人や花や草木や水や森すべでが地球であるということ、すべてが自分にかえってくるということを感じました。
トラスト地
そして今日の宿泊地、羽村の多摩川沿いのキャンプ場に向かう道のりは、南無妙法蓮華経walkで一気に到着しました。そこにはTipiが3つ、Paoが1つ建ててあり、Fire
Placeもあり、東京に入りTipiの中で火を感じながら寝れたことは本当にうれしかった。
いろいろお世話をしてくれたケンゴさんはじめひょうこまの皆様、本当にありがとうございました。それでは明日のWalkに向けて、Free
Takao Mountain. Free Hinode Village. Free Big Mountain. Free Earth.
[文責:光・長野県望月町在住・ミュージシャン]
今日のウォークは、中央道と圏央道(首都圏中央連絡道路)のインター予定地付近から始まった。圏央道というのは、都心から40〜50km圏内にある横須賀〜高尾〜青梅〜川越〜久喜〜つくば〜成田〜木更津を結ぶ270kmの環状道路で、都内へ入ることなく東名・中央・関越・東北・常磐・東関東の高速道路を結ぶ自動車専用道路だ。1984年に計画された。
高尾山は関東平野が奥多摩の山地にぶつかるところに位置している。1200年前に行基によって開山された修験道の霊場である。そのため、東京に近いにもかかわらず人の手から山が守られ、日本列島では例外的に自然林が残っている。高尾山原産の植物だけでも40種を数える。暖帯の常緑広葉樹と温帯の落葉広葉樹が共存し、千数百種の植物が自生している。
国道20号線は高尾山の南側を通っている。一方、高尾山の北側は「裏高尾」と呼ばれ、小仏峠を越える旧甲州街道の道筋だが、峠を越える自動車道路がなく鉄道(中央東線)は通
っているが駅がないため宅地化をまぬがれ山間の農村風景が残っている。のちに中央道が鉄道ぞいに作られたが八王子インターまでは遠い。ところが、圏央道は高尾山をトンネルでぬ
け、この裏高尾で中央道とジャンクションで結ばれる計画だ。新しく大規模な道路を作ろうとすると人家が無いところがルートに選ばれることになり、わずかに自然が残っている場所が失われることになる。
私たちは、きのうは国道20号線の大垂水峠をさけ、旧甲州街道の歩道を裏高尾まで歩いてきた。一夜明けて戻って見ると中央道からの車の騒音がかなり聞こえてくる。そして、中央道ぞいの山肌を削ってジャンクションの工事が始まっているのが見える。歩き始めてすぐ、立ち木トラスト地へ寄った。トンネル出口付近の動植物の生息地が直接失われることや、トンネルにより地下水脈が分断されることを憂慮する人たちが、立ち木を所有者から1本づつ買取り、強制収用にそなえている。
中央道と圏央道のジャンクションができれば、途中に平屋建て1教室だけの分校があったけれど、このあたりは様変わりするだろう。トラスト地の近くの龍神様におまいりする。そこは滝に打たれる修行の場になっている。ウォーカーはとりわけ信心深くなっていて真剣に祈っている。青龍は東アジアでは東方のスピリットである。私たちの行く手を先導してくださるにちがいない。中生代の恐竜の霊であるとも聞く。水のスピリットでもある。私たちは、自ら失った大地の精霊への理解を取り戻さねばな
らない。
高尾駅を過ぎて北に向かい、大規模な霊園をいくつか過ぎる。宗派の争いや見栄を張り合わないよう墓石の規格はすべて統一されて、団地のようだ。私は池上本門寺という大きなお寺の墓地を遊び場にして育ったから、死者の霊が眠る世界は独特だけれ
ども異様ではない。ここはまだ新しい墓地だからまだあまり強い力は感じない。しかし、東京では、墓地を確保するだけでもたいへんなことだ。
私は先祖を敬うことは大切だと思う。私たちは、肉体としてこの地球上に世代から世代へと生存してきたのだということを忘れてはならない。「世代」というのは、ネイティブ・アメリカンの教えのキーワードである。7代前の先祖が私たちのために捧げてくれた祈りが今の自分を存在させ、今の私たちが7代先の子孫の生存を祈ることで彼らがはじめて存在できるのだと、デニス・バンクスは言う。先祖たちが霊界や幽界で、安心立命できるように祈ることを先祖供養という。それは同時に、すべての死者の霊にささげられるものでなければならぬ
。60億人の人類はすべて、20万年前のアフリカの一人の女性の遺伝子を共有しているという。バクテリアをふくむすべての地球生命は、生命情報の伝達手段として、4種の塩基の組み合わせだけで書かれた共通
の言を使っている。これは、すべての地球生命は38億年前に発生したひとつの生命体にいきつくことを示している。
日の出町へいたる道はダンプ街道だ。関東平野は箱根や富士の火山灰におおわれていて石がない。道路から建築物にいたるまで、大量
に使われているコンクリートは、セメント1:砂3:砂利9の混合物である。首都圏で使われるコンクリートの砂利は、ほとんど奥多摩の山を崩して採取・運搬されている。砂は房総半島の丘陵を崩して取られている。せっせと山や丘をくずして都内へ運んでいるようなものだ。
日の出のゴミ処分場のすぐ手前には、アスファルトの再生工場があった。舗装をはがした残骸は、ここで溶かされて新しい舗装材料にされる。そのまま廃棄するより良いことにちがいない。たぶん、砂利を採取したあとに建てられている。
採石場にしろアスファルト工場にしろ、人目からなるべく隠されているように見える。山が削り取られている姿は人の胸に痛みを起すだろう。だがそれが現実なのだ。私たちが見たくないものを隠すことが「環境に配慮する」ということではない。むしろ、都会(田舎も同じことだが)を支えているものが見えないようになっていて、問題を意識できないことの方が危険だと思う。
その最たるものが、日の出のゴミ処分場だ。ここには、東京都三多摩地区の一般
ゴミの焼却灰が運びこまれている。産業廃棄物ではなく一般家庭のゴミであるところが、より象徴的である。塩化ビニールのような塩素を含むプラスチックを燃やしたり、塩分を含む残飯とともにゴミを燃やすとダイオキシンが発生し、焼却灰に残留している可能性が高い。けれども焼いて減量
しなければ、ゴミの量は莫大になってしまうだろう。
日の出町は、青梅線沿線と五日市線沿線の中間にあるため、多摩丘陵にありながら里山が残っている。その最後の里山の谷をゴミ焼却灰で埋める処分場が作られている。三多摩の市町村が出資したゴミ組合が運営する公営の処分場である。谷戸沢処分場と二つ塚処分場が、日の出町と青梅市を結ぶ幹線道路をはさんで森の中に向かい合って作られている。けれども道路ぞいにはゲートがあるだけで、ゴミを投げ込んでいる現場は、まったく見えない。
はじめに谷戸沢処分場が作られた。くぼ地の底には薄いゴムが張られ毒性の廃液は漏れ出さないとされたが、近くの民家の井戸が汚染されている。しかしゴミ組合は汚染がないと言い張っている。やがて谷戸沢処分場は満杯に近くなり、二つ塚処分場が
計画された。二つ塚処分場に反対する人たちは、谷戸沢処分場の排水データの開示を求めて訴訟を起した。東京地方裁判所はゴミ組合に対しデータ公開を求めた。けれどもゴミ組合は原告(反対運動の人たち)に罰金を払い続けながらデータを隠しつづけた。罰金といっても、ゴミ組合が払うということは税金が使われたということだ。そうまでしてデータを隠すのは明らかに汚染があるからにちがいない。営利企業ではないゴミ組合が、そこまでなりふりかまわずに二つ塚処分場計画を強行するのは、三多摩の家庭ゴミの行き場がほかにないからだ。しかし、汚染の事実をねじまげ汚染がないと言い張るのは誤っている。
二つ塚処分場計画に反対する人たちは、予定地の一部を分割所有した。これが日の出の森トラスト地である。結局、谷戸沢処分場は満杯になり、トラスト地を半島のように残す形で二つ塚処分場は建設された。東京高等裁判所は谷戸沢処分場の排水データ公開を求めた地裁判決を取り消し、反対運動の人たちに罰金を払い戻すように求めた。それだけでなく、その間の利子まで払うことを要求している。これは行政にたいし訴訟を起しにくくさせる意図があると考えざるをえない。また、東京都はトラスト地の強制収容を決定し、2000年3月までにすべての地主に対し、手続きを終える予定である。
ウォーカーは処分場入口で反対運動の人たちに迎えられた。暖かいトン汁での歓迎である。ゲートはものものしく警備されている。処分場にはそこからトンネルを通
って入っていくのでまったく見えない。私たちがいるうちにも「国立市」と書かれたトラックや、委託業者のトラックが出入りしている。反対運動の方があいさつされたが、だんだん涙声になっていく。
つづけて私たちはトラスト地へ向かった。山の尾根の歩道を歩いていく。落葉広葉樹の森の中の道。東京近郊で、よくこれだけ広い里山が残っているものだ。だがそのような場所だからこそ大面
積のゴミ捨て場が作られる。山道の南側は処分場の境界でフェンスが張られている。しかし捨て場本体は道からは見えない。15分ほど山道を歩きトラスト地へ着く。数10m先は、山肌が大きく削られた広大な処分場だが、目隠しをするように土手が築かれて搬入の様子は見えない。あと数ヶ月で強制収用手続きが終われば、こちら側の森も切られ、整地され、焼却灰で埋めたてられてしまうのだろう。人間のゴミのために切られていくグリーン・ピープルに心が痛む。ていねいな祈りをささげるべきだと感じ、タバコ・オファリング・セレモニーを行う。
あと数ヶ月でトラスト地が失われる寸前だが、訪れることができて良かったと思う。三多摩の住民は全員この処分場を見るべきだ。自分たちの暮らしが引き起こしている現実を見るべきだ。ゴミ組合も展望台を作って処分場の全景を見せるべきだ。ゴミ減量
については住民もゴミ組合も利害が一致するはずだ。私たちが明日・明後日に泊まる武蔵野市で出すゴミも、結局はここに来ることになる。
[文責:河本カズ・長野県大鹿村]
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