デイリーレポート



1月18日(火)

 時計を持ち歩かなくなってもう何年も経っていて、その朝も一体何時頃から皆が起き出したのやら分からないが、ずい分ゆったりとした朝のすべりだしだった。それは私が1日限りのビジターだったせいかもしれない。だってゆうべはずい分遅くまでキッチンクルーは厨房に立って下さっていたし、恐らく誰よりも早起きして朝食の用意をして下さったに違いないのだから。念入りに手を合わせて、少なめに、消化のよさそうなおかゆと、どうしても目のない手焼きのブレッドを一片頂く。

 雪道かみぞれか、はたまた泥道になるかもしれない、と足元の心配をしながら神戸を発ってきたが、昨日までの道程で初めて積もった雪も、今日はアスファルト道と太陽に助けられて、どうやら溶けそうだ。集合がかかり、表でサークルになる。セージのスマッジが始まる。何とも懐かしい風景だ。持参したフェザーとお太鼓もお浄めさせていただいた。サークル内の人数はたしか53名。

 ハルさんの話が一段落した頃、何かの気配と小さなどよめきで、一斉に皆が空を見上げた。すぐ頭上を何という鳥だろうか、1羽の先頭につき従うようにV字になって美しく列を組んで、群れが飛んでいくではないか。たった今、ハルさんがそんな話をしたところの出来事だった。うわーすごい、山の中はいいな、皆の心がひとつになると、周囲のスピリットは真正直に呼応するんだ。これがニューヨークのど真ん中だと、そういう訳にはいかない。

 今日の道は交通量の多い車道のすぐ脇を歩かねばならないらしく、その注意が充分に伝えられ、ゆっくりと行進が始まった。久し振りにお太鼓を持って歩くも、ゆるやかに打ち始める。今日はうちわ太鼓は私ひとり。いつも日本山妙法寺の御上人様、庵主様方の後ろについて唱和させて頂いたことしかなく、これまた初めての経験。しっかり打たねば。また打って、マントラを唱え続けねば、なまった身体が勝ってしまう。全ての行程を祈りに帰結させたい。

 昨日17日は5:47AM阪神大震災の追悼行事である“希望の灯り”に参列し、そのまま神戸を出て、山梨へと車を走らせてきた。5年前の1月17日、故郷神戸は大地震に見舞われ、千葉にいた私は被災はまぬ がれたが、連れ合いの宮田はちょうどホピの村にいたのだった。伝統派の最後の砦といわれるホテビラ村に、拒み続けた電気を引くための電柱が、その日立てられた。ホピがグレイト・スピリットの教えを明け渡した時、世界は揺れると長く言い伝えられてきたという。ホピとナバホの聖地がこれからもずっと彼ら自身の聖地であり続けられることを希って、このウォークでひと足でも我が身を投じることは、私にとっても大きなことだった。ちょうど計らわれたかのように宮田のショートステイと重なり、17日に神戸を出て、ウォークに合流するんだと決めていた。

 さて、午前中はせまい路肩にへばりつくように歩きながら、その路肩さえも途切れてしまうと、全員で車の往来を見きわめながら、反対側の路肩へと横断する。皆、息が合っている。小走りに列を整えたり、そんなことを2〜3度くり返し、ペースが少々乱れることが多かったせいか、年のせいか、ようやく昼食場所にたどり着いて、やれやれだった。午後からのために入念にクールダウンのからだの手入れをした。しかし、あ〜ん、肝心の“ひるめし”を乗せたアキさんの車がやって来ない。場所が朝の予定とは変更になったので、どうやら迷っているらしい。小一時間も経った頃、ひるめしは無事到着。みな、思い思いにお腹を充たした。

 この昼食場所の公民館は、健吾さんが先行でオーガナイズしてきてくれた場所だった。ご好意で、無料で部屋を提供して下さり、お茶やお湯のみまで用意して待っていて下さったのだった。健ちゃんも感激していたが、ほんとうにありがたいことでした。

 さて、午後からは私も再びからだがきつくなったが、その分、精一杯太鼓を打ち、お題目の声を高めた。若者たちも少し苦しくなってきたんだろうか、その分唱和が大きくなる。3時半頃になって、JR相模湖駅のすぐ手前で小休止をとった時、皆が“校長先生”と呼ぶ大鹿のカズさんが合流した。私はある人と甲府で会うために相模湖駅で別 れることに急きょ決め、駅前の交差点で信号待ちの間に、ご挨拶とお礼を申し上げた。

 歩いたり走ったりするといつも感じるが、今歩いている道が、確かに目的地へと続いているんだなあという実感、そして特に今回は、歩いた大地、その道々に息づく生物、人々などに宿るスピリットが、自分の内にもあるだろうスピリットと呼応し合っているんだということの納得だった。

 にっぱちさんのスピリットをしっかり受け継いだハルさんを初めとするビッグマウンテンにご縁のレインボーウォリアたち。そして、にっぱちさんを一昨年12月、望月町でお見送りした時に、愛息に雪馬と名づけたというところに、にっぱちさんのスピリットを見出したような思いがしていた。私はこのウォークを導いているだろうスピリットの中に、はっきりとホピの偉大な指導者ユキウマのスピリットを感じていた。

 年長者たちは若い人たちを導き、育て、守っている。さながら学びの場としてのウォークという側面 も見させていただき、改めてにっぱちさんや先達の意思が継がれていくことを確かにでき、そして若い人たちの新しい感性がそこに加味されていることが、私には何とも頼もしく、新鮮だった。

 たった1日も歩けなかったけれど、直接歩けなかった多くの人たちの思いも、道々の大地のスピリットも、彼らが運んで下さると安心しながら、合掌してお見送りした。

 ほんとうにありがとうございました。

[文責:辰巳玲子]