デイリーレポート



1/10(月) 雨のち晴れ

 夜中から屋根を強く打つ雨音で目が醒める。朝は少し憂鬱だった。7:00にスタート地点の鹿塩市場神社に向かう。大鹿村の皆さん(右写 真)には本当にお世話になったが、嬉しいことに、そのほとんどの人達が子供達を連れて集まってくれた。88人の大きなサークルとなる。

 この鹿塩の地は、その昔、国津神(くにつかみ/日本土着の神様)の主の大国主命(おおくにぬ しのみこと/大黒様)の次男の健御名方命(たけみなかたのみこと)が、天津神(あまつかみ/大陸からやってきた天尊降臨族)に対し国譲りをすすめる兄の事代主命(ことしろぬ しのみこと/えびす様)とは逆に、国譲りに反対し、健御雷命(たけみかづちのみこと)と闘うのだが敗れ、東に逃げた際、この地で「鹿」を捕って、山の中からいまだに湧き出る「塩」水を使って料理したのが「鹿塩」という名の由来となっている。(大鹿村は鹿塩村と大河原村が合併してできた)。その後、健御名方命は諏訪へ移り、諏訪大社に祀られている。この故事に習い、明治時代までは鹿塩の葦原(あしはら)神社は諏訪大社の本社を名乗り、毎年諏訪大社に鹿を奉納し、諏訪大社からも別 格扱いされていた。市場神社にも御柱が建てられている。このように大鹿村一帯は日本の土着神に縁の深い場所である。

 古い日本のネイティブのスピリットにガイドされているのであろうか。ルートを決める際には全く意図していなかったのに、ネイティブ・アメリカンをサポートするために始めたウォークは、ネイティブ・ジャパニーズとして生きたスクナから、国津神健御名方命へと導かれているとしか思えない。明後日は諏訪大社上社前宮そばを通 るため、参拝予定でもある。 まつろわぬスピリットからの導きを感じる。

 さて話は戻るが、今朝はこの88人と共に、幼い子供達も一緒にウォークした。わずか1km少々ではあったが、サポートしてくれた人みんなと一緒に歩くというのは、本当に気持ちいい。大鹿の皆さん、ありがとうございました。感謝しています。ウォークは表から見えない所で、本当に多くの人達のサポートを受けて成り立っている。大鹿を例に以下、具体的に列挙してみる。

 カズさんの奥さんの明代さん(以下、多いので敬称を略します)は家を宿舎として提供し、全てにわたって面 倒を見、惜しみなく食糧を提供。プレムはうこっけい(ニワトリじゃない!)を4羽提供し、ジローとすまこが解体。サクラヤは歓迎用クラッカー5袋。ひろみとゲタときみえは、じゃがいも、人参、大根、かぼちゃ、キャベツ、山芋、みそ。みどりはじゃがいも。シャイアンとすうは鳥肉。水野は人参。アキは大鹿村民から米を3俵以上集めて精米。きよみ、サンパ、なおみ、のりこ、るみは炊飯など料理。バーボはトラックのタイヤ交換と、こんにゃく料理。アツシとみどりは飯田までの炊き出し。アキさんの奥さんのすまこはコーヒー、キャベツ、餅。その娘さあきは唐辛子醤油漬け。ヒロとバーボはティピ設営。みちこは足心呼吸教室。これ以外にも、大鹿には全国各地からサポートが集まった。飯田市ののんび荘は味噌、醤油。てくてくは鶏肉、キャベツ、白菜。飯島町のタカはリンゴ。伊那の小野寺は牛肉。池迫は米とハム。茨城のサハジ・バザールは、ゴボウ、レンコン、人参。ガンジ・ババ・ファームはサツマイモ。東京のブジュは鮭。八百屋の結は食材と調味料。マークはパン。新潟のまるは、米と餅。大阪のイシとケメはカンパ。北海道の松山はジンギスカン、ソーセージ、ベーコン。龍神村の奥野。知多半島の杉浦。

 この様な多くのサポートが、特に炊き出しを中心に、ルート上の各地で行われている。おかげで痩せるどころか太ってしまいそうなぐらいの、毎食の充実ぶりである。各地の本当に多くの人達の想いを携え、我々はビッグマウンテンまで歩いている。サポートの上にあぐらをかくことなく、歓迎されることでヒーロー的な勘違いにはまることなく、例え一切のサポートがなかったとしてもこの二本の足で歩いて行くんだという初心を忘れず、歩いて行くつもりです。ありがとうございます。

 今日は全長約31kmと一番長い距離を歩く。しかも例年なら今頃は雪と氷で閉ざされ車両通 行止めになる、分杭峠越えであった。峠道に差し掛かった頃には、天気予報に反し、幸運にも雨はすっかり上がって真っ青な青空となり、ポカポカの陽気に変わる。日陰には雪や氷が残ってはいたものの、日向では暑くてTシャツだけで歩いていた。

 大鹿のサポーターと別れ、残ったウォーカーは40人。それでも新しいウォーカーがどっと増えた。大鹿村で休息し、スウェットロッジ(ラコタ語でイニーピー=マザーアースの子宮)に入って生まれ変わり、天気も快晴に変わったことで、新たな出発気分であった。途中の休憩の時、お待ちかね?カズさんのレクチャーがある。今日はフィールドワークだった。日本列島には日本海側の内帯と太平洋側の外帯を分ける中央構造線と呼ばれる世界的大断層があり、茨城からここ大鹿を通 り、吉野、淡路、四国、九州まで、ずぅっと延びている。この断層は一直線の谷として衛星写 真でもくっきりと分かるほどのものらしく、この断層面を実際に見ようというものであった。緑色の石と白い石。明らかに違った。そして断層のズレ目が谷となって、東から西に延々と伸びている。

 日本には大きな二つの道があるのだという。海の民の道は黒潮、山の民の道は中央構造線なんだと。そしてこの中央構造線を通 って、南北朝時代に吉野から南朝の宗良(むねなが)親王が大鹿に流れ、30年にわたって東国の拠点にしていたのだという。もしも南朝が勝っていたならば、日本の歴史は大きく変わっていただろうとよくいわれる。

 それにしても、ここでも登場する、まつろわぬスピリット。時代を支配している力に迎合することなく、自由に、自然と共にあり続けるがゆえに、反目され、それでもまつろわなかった偉大なる魂。日本のまつろわぬ スピリットが、時代を超えて、遠く海を隔てたディネとホピのまつろわぬ 長老達を、僕らを通じて応援しようとしているのであろうか…。

 1424mの分杭峠頂上にはお昼に到着した。以前、中国の気功師がこの場所にやってきて、ここは特別 なゼロ磁場の場所だと言って以来、気の特別なエネルギースポットとして全国(の一部の人?)に知れ渡っているのだという。ここ長谷村は気で村おこしを試みているユニークな村でもある。分杭峠のある一帯の山は、そこら中から水が川となって流れ出ている豊かな美しい山だった。カモシカも多いと聞いた。(右写 真、分杭峠記念撮影)

 昼食は高遠町ののら屋の塩田さんご夫妻をはじめとする地元の方々に、暖かい焚き火と、暖かいスープと、何種類ものおにぎりと、何種類もの天然酵母パンをふるまてもらった。めちゃウマで、あっと言う間になくなった。ごちそうさまでした。昼食後、大阪から来た虹の祭チームは帰ったが、生活サーカス・チームは残る。大鹿からも何人か残る。自分でつくった「子連れ狼」のようなブレーキ付き木製乳母車を押しながら、急な坂道を登る親子も戻ってきた。どんどんメンバーが濃くなっていく。

 薄暗くなった5時過ぎ、ようやく宿舎となる南アルプス村に到着。すぐ出発し、村営の南アルプス生涯学習センター内のお風呂に入りに行った。昨日はスウェットロッジ・セレモニーの後に風呂に入れなかったので、皆待望だった。天井にはクリスタル、地下には埋炭。トルマリン(体に良いといわれる天然鉱石)風呂があり、瞑想ルームもあるなど、ニューエイジ感覚を取り入れたユニークな村おこし施設だった。

 夕食後は、野良屋さん、長谷村の松尾さん、他のサポーターの方々と一緒に大きなサークルをつくり、ゆっくりと交流会に時間を費やした。やはり、地元の人達との縁をつなぎ、太くする。出会いを楽しむということは、大切なことだと思う。このウォークが終わったら、高山から岐阜・長野、そしてこれから向かう山梨・多摩へと、ものすごいルートが、いのちのネットワークが出来上がるんだなぁと思った。そして、全国から集まったウォーカーたち。もうじき国内スケジュールの半分を消化するが、まだまだ先は長い。毎日がとっても楽しみだ。

[文責/あきお]