1/7(金)晴れ
今までで一番暖かな朝。空気がなま暖かい。一昨晩インディアンに嫁いだ友人からの激励メールを受け取ったが、今年のアメリカはとても寒いとのこと。標高100m上がると0.8℃ぐらい下がるから、2000m近い標高のビッグマウンテン・エリアは、普段でも下界より15℃以上は寒いことになる。加えて砂漠地帯で風も強いし、テントでのキャンプインもあるため、アメリカは相当厳しいウォークになりそうだ。
ビッグマウンテンの先住民で、昨年末来日して東京・三重・神戸・福井・熊本を回ってくれたディネ民族のアクティビスト バヒ・キャダニーからもメールが入る。アメリカでのウォーク日程が決まった。
1/27 フラッグスタッフ寄りのサンフランシスコ・ピークを出発。
1/31 聖地ブラックメサで行われているピーボディ石炭会社の採掘エリアを経由し、
アッパー・ビッグマウンテン・リッジにてキャンプ。
2/1 ビッグマウンテン・エリア北部カクタスバレー・コミュニティにてキャンプイン&分宿。
2/2 ビッグマウンテン・エリアの中心部にて、強制移住と石炭採掘に反対する
ホピとディネの伝統派たちによるパイプセレモニー。
これについての詳しい情報は、改めて当サイト上で公開予定です。
朝7:00、全員で宿泊した常信禅院のご本尊にお参りし、天竜川明神橋たもとの河川敷に集合する。早朝行われたどんど焼きの残り火を囲んで、毎朝のモーニングサークルをつくり、出発する。どんど焼きは、竹などでティピほどに高く薪を組み上げ、お正月のお飾りを燃やし、その火で餅を焼き食べ、一年の無病息災を祈願する風習である。
今日のウォーク参加者は35人。松川町を大鹿村に抜ける生田村長峰旧道の山越えが、予想以上にキツかった。ダンプがビュンビュン通
る下の道を避け、古い尾根ずたいの道を通ったのだが、約19km、急な登り坂が延々と続いた。パイプを持ってウォークをリードしたのは、リーダー格の山口ハル。やっぱりパイプを持つ足は速かった。それでも皆ピッタリとついて行く。大鹿村から参加してくれた7人の子供達などは、全然へっちゃらの様子。さすが毎日、山道を何キロも学校まで歩いているだけある。
キリスト教の「イエスの小さい姉妹たち」のシスター・カタリナ和子さんと佐藤さん(右下写
真)が1日参加してくれた。シスターはなんと60歳をとうに過ぎておられる。今回の参加最年長にして、最もキツイ峠越えの参加である。背中を後ろから押して支えようとしても、大丈夫ですと断られるのだから、恐れ入る。そんなわけで、誰も音を上げて伴走車に乗るわけにはいかなかった。
一番先頭には、天空オーケストラの岡野君から渡された「虹の祭」で使ったレインボーフラッグ、一番後ろには星川淳さんからの濃紺の宇宙に地球が浮かぶアースフラッグ。両フラッグとも、車へ注意を促し安全を確保すために持っているのだが、蛇行する山道をフラッグに挟まれ、ピッタリと一団で登る様は、後ろから見ているとまるで龍のようだった。“レインボー・ドラゴン”という言葉が頭に浮かぶ。龍年に、天と地を結ぶため、祈りと現実を結ぶため、虹色の龍が駆け抜けて行く。そんなイメージが浮かぶ。
昼食はこの旧道途中の峠集落にある、峠集落のお宅で、シスターや信徒さんたちが用意してくださった。昼食後は信徒さんで70歳を越えたおじいさんが参加された。もう、ホントに恐れ入りました。おじいさんはこのウォークの話を聞き、昔はこの峠道しかなくて、よく歩いたもんだと、懐かしがって参加してくれた。「その昔、太平洋戦争で生き残って、やっとの思いで帰ってきた兵隊さんが、実家を目前にしたこの峠道で、バスが落石に遭い、大勢死んでしまったことがあった。本当に可哀想だった。」という話を路々してくれた。いろいろな人が、様々な想いを胸にウォークに参加してくれている。
夕方には大鹿村に入り、まずは村役場にご挨拶に行く。村長と助役は留守だったが、収入役と総務課長が応対してくれた。カズさん、アキさん、ボブさんら、大鹿の人が住みづらく?ならないように、カズさんが中央構造線博物館の学芸員の職を追われないように?との配慮もあった。こんな時は、新聞記事ひとつで社会的信頼を得られるという効果
は大きい。ずっと沿道で出会った人に「こんにちは。元旦に飛騨高山をスタートして、東京まで歩いています」と言いながら、新聞記事のコピーとチラシを渡しているのだが、皆さん「ご苦労様です」と暖かく返事してくれる。後でアキさんに聞いた話だが、道で出会った大鹿村住民が、旗を持ったおかしな集団が歩いてきたと思っていたら、「こんにちは」と挨拶してきたもんだから、そんな変な人達じゃないなと思っていたんだ、と言われたらしい。やっぱ、挨拶は基本ですね。
鹿塩市場神社で多くの大鹿の人達に出迎えてもらい、77人の大きなサークルをつくり、今日の全約26kmのウォークを終える。氏子総代からもお茶をご馳走になったが、こうやって地元の方に歓迎されるのが、一番嬉しい。
[文責:あきお]
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