インディアンの声………レオナルド・ペルティエ(チペワ/ラコタ) オレはインディアンの声
夜明けへの道より ニライカナイ祭りへのメッセージ 親愛なる友人へ 世界の先住民族に捧げた世界的でスピリチュアルな集まりに参加することは、私にとって大変名誉なことです。まず始めにアメリカ・インディアンとして、私は生得の人間とはどういう意味か知っています。と同時に、私の生地には見知らぬ 人は歓迎されないことも知っています。世界中のほとんどの国では、先住民とどのように遇していいか、まだわからないようです。しかし、時は来ました。我々が何であるか、そして何を教えることができるかを皆さんが受け入れて、正当に評価することのほかに選択はないでしょう。 刑務所の監房から私の周りの世界が悪くなっていくのを見ています。何故われわれの母なる地球がこんなにも痛んでしまったのでしょう。母なる地球を癒すことのできないことは、自分にとっても痛みです。母なる地球の子どもたちはそのために苦しんでいます。ナバホの人たちは原因不明の呼吸器官の病気で死んでいます。癌はさらに広がっています。 アメリカ政府は、インディアン部族会議になんとかして毒性廃棄物の貯蔵を続行させようと働きかけ続けています。私の仲間は、私の犠牲にもかかわらず、いまだに苦しんでいます。世界中でたくさんの人が、飢餓と戦争に直面 しています。お互いに創造主から生まれた末裔として、われわれは兄弟姉妹たちの苦しみをどのように看過ごしていけばいいのでしょう。私を迫害した人は、私を、殺人者、凶漢などと色々な呼び方をしていました。しかし、私はそのような人間ではありません。私は、人種や先住民の生得権や平和共存を大切にしてきた人間で、今も大切にしています。私は仲間を殺そうとしたり、道かさせようとする政府と戦ってきました。われわれは最低限の権利さえも否定されてきました。われわれは人間として扱われてきませんでした。今日、たくさんのことが変わりつつあります。しかし、居留地や都市での状況はまったくひどいものです。やるべき仕事は、たくさんあります。 私の願いは、ニライカナイ祭りと世界平和会議が、赤、黄、黒、白の聖なるサークルの全ての人々を一つにすることです。われわれは同じ母なる大地を分けあっています。そして、皆が一つになることによってのみ、母は癒され、子どもや孫たちに何かが残るでしょう。この重要で歴史的イベントに招いていただいて感謝しています。われわれの間にある遠い距離をこえて、その日私はあなた方と共にいます。ありがとう。 クレージーホースの魂のうちに
レオナルド・ペルティエを自由に! 500年に及ぶ母なる大地の破壊と搾取、亀の島における先住民族虚殺の歴史の中で、アメリカ先住民たちの、生命の聖なる輪を根本にした文化や祈り、そして彼ら自信の生存のための運動は、今なお続いている。レオナルド・ペルティエは、アメリカの先住民であり、2人のFBI人員を射殺したというアメリカ合衆国政府のでっち上げた偽りの罪で、2回の人生にわたる終身刑という有罪判決を宣告された。彼は、ラコタ=チペア族でAIM(アメリカン・インディアン・ムーブメント)のリーダーの一人である。彼が有罪判決を受けた本当の理由は、殺人犯としてではなく、政治犯としてであり、母なる大地とその上で共存してゆく精神的生活や、アメリカ先住民の文化を未来の子供たちへ伝え守るという彼のポリシー、AIMでの運動においてである。 AIMは、1960年代、合衆国政府による種族的、文化的な先住民族絶滅政策が進められる中で生まれた。彼らは、伝統派の人々の精神的、霊的な教えのもと、居留区での差別 、貧困、アルコール中毒、絶望の中に埋もれている同胞の状況を訴え、様々な抗議行動を通 して、それらの改善を求めた。 当時、ラコタ族のパインリッヂ居留区でのウランをはじめとする鉱物採掘の計画が、企業や政府の間で進められていた。伝統的なラコタ族は、大地を切り開き、自然生態系を崩し、原発や核兵器の原料となるウランの採掘や、母なる大地を売買することに反対していた。鉱物発掘で利益を得る部族会議(反伝統派)議長ディック・ウイルソンは、合衆国政府の資金を使い、“グーンズ・スクアッズ”と呼ばれる暴力団を雇っていた。グーンズ・スクアッズは、FBIより支給された高性能な武器で発砲、暴力行為による伝統派の人々への脅迫を行っていた。母なる大地の上で調和と宗教を受け継いで生きようとする伝統派ラコタ族と、アメリカ社会に適合し、わずかな贈物で自らの伝統的民族を管理する政府の操り人形、部族会議。この対立は、1世紀のと年月を遡る。 1868年ラコタ族酋長レッド・クラウドと合衆国政府との間に、フォート・ララミー条約がかわされた。しかし、金鉱の発見と共に和平条約は、破られる。メディスンマンであり指導者であったクレイジーホースと彼の追従者たちは、白人に同化する部族を離れ、アメリカ先住民としての道を貫きとおした。クレイジーホースは、投獄され、殺害されたその日まで合衆国政府の支配の下に生きることを拒み、抵抗の魂の中にあった。
AIMを壊滅させる為、メディアは、AIMを暴力テロリスト集団として取り上げた。撲滅キャンペーンのターゲットとなったAIMのメンバーたちは、投獄され、また殺害された。73年から75年の間に342人のAIMメンバー、その支援者たちと伝統派の人々が殺害された。しかしその殺人事件は、まったく正当な捜査がされていない。パインリッジの居留区で、グーンズ・スクアッズによる発砲、殺人事件が頻繁に行われる中、ウーンデッド・ニー占拠の翌々年1975年6月26日、2人のFBI人員と1人のアメリカ・インディアンが射殺される事件が起こる。この同じ日にディック・ウィルソンは、ワシントンDCで、ウランをはじめとする鉱物資源の埋まっている居留区の土地の8分の1を、譲り渡す段取りを行っていた。 射殺されたアメリカ・インディアンのジョー・スタンツのほうは捜査取り調べが行なわれなかったが、2人のFBI人員ジャック・コラーとロナルド・ウィリアムスの死は、FBI始まって以来の総動員数200人を超える人間狩り(マン・ハンティング)を引き起こすことになる。 FBIの記録書類によれば、レオナルド・ペルティエはこの事件以前から、AIM活動家としてそのターゲットとなっていた。ペルティエは、アメリカ先住民に対して全く正当な法的処置のとられない合衆国を離れ、カナダへ亡命するが、ペルティエのガールフレンドと名乗る女性の偽りの証言によって、アメリカに連れ戻された。(2人は面 識すらなく、脅迫による偽証であった事を、彼女自身が後に告白している。)合衆国における裁判では、判事ポール・ベンソンとFBIが事前に会い、居留区における政府側の暴力、殺人の証言、証拠は一切受け入れられず、ペルティエは殺人の有罪判決を受ける。その後、情報公開の訴訟を通 して、ペルティエ弁護団は、FBIの1万2千ページに及ぶドキュメントを入手する。残りの6千ページは、「国家保安」という理由のもとに公開を保留された。しかし、入手した資料から、レオナルド・ペルティエに対する殺人容疑は、反証されたのだ。 さらにまた、FBIによる偽証、証人の強要、殺人に使われた凶器及び他の証拠の捏造という、捜査手続きの乱用、違法行為が明らかとなり、政府の検察官は「誰がFBI人員を殺害したのかは、証明できない」と認めざるを得なかった。しかし裁判所は、事件の主犯者としてペルティエを連邦刑務所に拘置し、正当な再審への上訴を却下し続けている。 今日レオナルド・ペルティエは、アメリカ先住民族運動のシンボルとして、ネルソン・マンデラやリゴベルタ・メンチューを始めとする2千万人を超える世界中の人々や団体から注目と支持を得ている。上訴が受け入れられたならば、彼が釈放される可能性は高いであろう。 ピーター・マシェッセン著のペルティエについて書かれた物語『イン・ザ・スピリット・オブ・クレージーホース』は、8年間発売禁止となっていたが、最近になって再刊され、ベスト・セラーとなっている。昨年ロバート・レッドフォード制作の「インシデント・アット・オグララ」というオグララ事件とペルティエ裁判を追ったドキュメンタリー映画と、70年代のAIM運動を元に制作されたフィクション映画、「サンダー・ハート」が公開され、現在オリバー・ストーン監督による、ペルティエの長編映画が制作中である。
また、謎の人物「ミスターX」が最近マスコミを通じて、FBIの殺害を認めている。 レオナルド・ペルティエ・サポートグループ . 1975年6月26日、ペルティエのメッセージより 1975年6月25日は、美しい朝を迎えた。外で女性たちが笑ったり話したりしながら朝食の支度をしている音を、私はテントの中で聞いていた、暖かいそよ風が通 り抜けていった。一人が「あら、パンケーキを落としてしまったわ」と言うのが聞こえた。「大丈夫よ、ほこりを払って戻しておけば、きっと誰もが気がつかないわよ」と別 の声。「誰も気づかない」というのは、我々男たちを指していた。私は彼女たちの笑い声と一緒に静かに笑い、ディーノも、この朝の会話を聞いていたことを後で知った。 しかし、この美しい朝は、ほどなく突然の銃声で断ち切られてしまった。最初は遠く聞こえ、誰かが森のなかで射撃の練習をしているようにも聞こえた。それから叫び声が聞こえ、私は未だかつて感じたことのない恐怖に襲われた。このキャンプには多くの女性、子供、老人たちがいたので、私は急いでシャツとフイフルをつかみ、ジャンピングブル牧場の人たちが捕らえられていると思われる家々に向かって走り出した。日なたの熱気が一気に襲い、私は走りながら汗が目に入るのをぬ ぐおうとして、弾薬の袋を落とした。弾丸があちこちから飛び交い、私の頭上をかすめる音が聞こえた。身を伏せて、地面 をはって行かなければならなかった。家にたどり着き、皆に避難するように注意をした。すでにディーノが、女性や子供たちを連れて森の中に隠れるようニラックに指示をしていた。私には、自分たちの身に起きていることが信じられなかった。この素晴らしい平和な朝が、このような暴力によって打ち砕かれようとは。私達がなぜそのような邪悪な襲撃にあったのか、理由がわからなかった。私にわかっていたのは、自分の仕事が罪のない脅えきった女性と子供たちを守るということだけだった。自分自身の不安に負けてはならないと思った。誰か一人がパニックに陥ったりでもしたら、とりもなおさず女性や子供、皆の死につながると思い心配した。若者たちには落ちついて勇気を持つように、ウォリアー(戦士)として在るように、と言った。どうにかして、その夜ほぼ全員が一時的な避難場所へ逃れることができた。しかし、我々は兄弟ジョー・スタンツを狙い撃ちによって失った。そして2人の捜査官も殺された。私たちは、3人が新たな世界へ安らかに旅立てるように祈りを捧げた。
2人のFBI人員は、老人、女性、子供を含む伝統的ラコタ族の生活をしている場に侵入し、ハンドガンで発砲を始める。そこはハリー・ジャンピングブルの土地で、4世帯のアメリカ先住民の家族と、スエットロッジを建てテントやティツピーを張ってキャンプ生活をしているAIMの家族たちがいた。AIMメンバーたちは、伝統派のラコタ族の依頼を受けて、彼らに対して行われていた無差別 の殺人や、暴力を防ぎ守るためにパインリッジ居留地に留まっていたのである。銃声を聞き、彼らは住民を避難させ、侵入者を近付けないように発砲を行う。 最初の発砲から、1時間以内に道路封鎖がしかれ、ジャンピングブル牧場は多くのFBI人員、BIA警察、グーンズ・スクアッズによって包囲され、その上空をヘリコプターが巡回していた。何時間か後には、何百人もの合衆国政府の法律を執行する人々とAIMメンバーたちの銃撃戦となり、その結果 3人の若者、FBI人員ロナルド・ウィリアムスとジャック・コラー、そしてアメリカン・インディアンのジョー・スタンツが射殺される。創造主は私たちの脱出を見守って下さり、弾丸は私たちの横をかすめてはいったが、誰かの腰にぶらさがっていた懐中ビンを破壊した以外は、誰にも命中しなかった。私たちは我々を助けてくれた多くの人々に感謝をし、今でも感謝し続けている。長老たちとどうするべきか相談し、クロウドッグのところでサンダンスが行われるまでこの場に留まることになった。FBIとグーンズは、合衆国史上最大のマン・ハンティング(人間狩り)を繰り広げていた。捜査令状もなしに住居を乱暴にひっかき回し、AIMの支援者と見られる人々は、何度もいやがらせを受けた。再度、長老たちの指示を仰ぎ、私はカナダへ渡ることになった。その日そこにいた者は全員が起訴されるだろうことが予想され、無実だったにもかかわらず、我々が身を守るためには別 々の方向に進んだほうがよいだろうと決められたからだ。 事件のその後と引き渡し1973年から1975年の間に342人のAIMメンバーとその支援者、伝統的ラコタ族の人々がパインリッジ居留地内で殺害されているが、それらの殺人事件はいずれも正当な捜査、取り調べが行われていない。当時のパインリッジ居留地の総人口は約1万人である。他の先住民殺害事件と同じく、ジョー・スタンツの射殺は正当な捜査が行われなかった。しかし、2人のFBI人員の死にともなって、3日間に約350人のFBI人員による集中的マン・ハンティング(人間狩り)が繰り広げられる。この事件を理由に合衆国軍隊、FBI、BIA警察は、居留地での人身、家宅捜査や不当な逮捕を引き続き行う。そして4人のAIMメンバー、ジミー・イーグル、ディーノ・バトラー、ボブ・ロビドウ、レオナルド・ペルティエが起訴される。後に、その場にいなかったジミー・イーグルの起訴は、却下された。 1975年9月5日、ディーノ・バトラーは、ローズバッド・ラコタ居留地のクロウドッグ・パラダイスで逮捕される。その朝、捜査令状なしに4機の攻撃用ヘリコプターと約100人の重装備した軍隊、FBI、BIA警察によってクロウドッグ・パラダイスの居住者は包囲され、その多くが逮捕された。(レオナルド・クロウドッグは、パラダイスやビッグ・マウンテンのサンダンス・チーフとして日本人とも交流のあるメディスンマンである)5日後の9月10日、ボブ・ロビドウの乗っていた車がハイウエイで爆発し、そこで彼は逮捕される。この時、爆発ダメージを受けたAR-15・セミ・オートマチック・ライフルが発見され、後のペルティエ裁判で殺人凶器として取り扱われることになる。 1976年6月7日、ディーノ・バトラーとボブ・ロビドウは、アイオワ州シーダーラピッドで開かれた裁判で、正当防衛として無罪の判決を宣告された。レオナルド・ペルティエは、カナダに亡命を試みるが、指名手配となり逮捕される。ペルティエは、彼のガールフレンドと名乗るマートル・プア・ベアによってサインされた口述書をもとに、合衆国へ引き渡される判決を、カナダ裁判所で言い渡される。マートル・プア・ベアは、FBIから脅迫を受け、ペルティエが2人のFBI人員を射殺する現場を目撃したという口述書にサインを強いられた。彼女は精神障害を持つ女性で、彼女と子供の危機を脅かされ、それを暗示するのに、アナ・メイ・アクアッシュの切り取られた両手の写 真が用いられている。 アナ・メイはAIMの女性アクティビスト(活動家)で、ペルティエの友人であった。彼女は、死体となってパインリッジ居留地の砂漠で発見された。生前、彼女はFBIに脅迫されたことを友人に語り、FBIに協力しなければ年内に命はないという警告を受けている。身元確認のため、彼女の両手は死体から切り取られ、ワイントンDCにあるFBI研究室に送られた。死因は寒さによる自然死とされたが、彼女の親の依頼で行われた死体検証で、頭に32口径あるいは38口径の弾丸が確認された。しかし、彼女の殺害事件は、正当な捜査がされていない。(時間経過) 1976年2月6日 レオナルド・ペルティエ、カナダで逮捕される。 「私は、レオナルドを知りませんでした。レオナルドに会ったこともありません。 カナダ法廷に送られたレオナルド・ペルティエ声明文(1976/5/13)(一部省略) 私は自分自身の公聴会が、カナダと合衆国の法廷で行われているインディアン民族に関わる数多くの政治裁判のひとつであると見ています。これはただ、我々に対し、法定システムを用いてなされる北米大陸の、政府によるインディアン抑圧政策の継続に他なりません。現在、二重の裁判システムが存在します。一つは白人社会のものであり、もう一つはインディアン民族のものであります。インディアンの人々が、居留地や合衆国とカナダの路上で攻撃を受け、殺害され続けていますが、法廷の中でまだ誰も犯罪者として呼ばれていません。私は罪人が、白人社会であることを知っています。私は、我がチペワ族の兄弟姉妹たちが生命の糧としなければならない魚を捕る、カナダ東部の湖に水銀を廃棄していることに、白人社会が責任のあることを知っています。我々はその魚を食べれば死にますが、法廷はまだ、水銀を廃棄している者を犯罪者の名で呼んではいません。しかし私は、罪人が白人社会であることを知っています。 植民地主義の白人社会が我々の土地に侵入し、占領しても、それは犯罪行為とは呼ばれません。しかし、先住民族が立ち上がり抵抗したとき、これらの行動は犯罪行為とみなされます。しかしこれからは犯罪ではありません。他の国民による残酷で抑圧的な力に対して、自決と自らの尊敬、敬意のために立ち上がった、民族の政治的行動なのです。私の祖先たちは、合衆国とカナダの政府との間に条約と呼ばれるものを取り交わしました。これらの条約は、主権独立の「くにぐに」を承認しています。19世紀において、我々の大地は経済的理由のもとに取り上げられました。我々は、白人社会が価値がないと考えた土地に移りました。そこでも何とか生活をしのぎ、白人社会が我々を絶滅させようとすることに抵抗してきました。そして今日、価値のない場所とかつて呼ばれた土地が、白人社会の発展のためのテクノロジーにとって貴重なものとなったのです。白人社会は、我々の居留地の下に貴重な鉱物や石油資源が眠っているという理由で、私たちを追い出そうとしています。 カナダと合衆国政府、そして支配的白人社会は400年以上も、我々の民族と文化、精神的で霊的な在り方と神聖な母なる大地に対して、戦争をもちかけてきました。400年以上も、私たちは植民地支配に対して闘い、条約によって立証された土地の中で独立主義の権利を主張し続けています。インディアンに対するあらゆる政治的迫害は、はっきりとアメリカン・インディアン・ムーブメントの代表者たちに焦点が向けられました。合衆国で始まったこれらの政治的迫害は、アメリカン・インディアン・ムーブメントを、すべての合衆国とカナダの先住民族と同じく、中南米の植民地化された先住民族の解放の運動をする、つぶすべき組織として狙いを定めたのです。 AIMは、植民地支配への服従を取り除く闘いです。もし、私たちが人として生存できるのであるなら。しかし、私たちは、アメリカ侵略主義への服従を脱ぎ捨てようとする植民地の人々として扱われる代わりに、犯罪者として扱われています。FBIはアメリカの法廷システムを、彼らの抑圧に抵抗する者たちに対し、いやがらせと投獄をするために悪用しています。これが、鎖につながれた私が、この法廷に立っている理由です。私がこの法廷にたずねることは:カナダの法定システムとその権威者たちは、これらの法律の乱用を知ったうえで、腐敗したアメリカ合衆国の道具として、その一端を担われるのでしょうか。 私は、この法廷とこの国が、政治亡命者として私を容認して下さることを求めます。裁判レオナルド・ペルティエの裁判は、アイオワ州シーダーラピッドから通 常行われる裁判地変更の手続きを一切抜きに、人種差別、反インディアン感情の強いノースダコタ州ファーゴに、ミステリアスに移される。判事はポール・ベンソンがFBI人員と面 会した上で務める。ペルティエはカナダで捕らえられたため、同じ容疑で起訴されて無罪判決を受けたディーノ・バトラー、ボブ・ロビドゥと共に判事エドワード・マクマナスによるシーダーラピッドでの裁判を受けることができなかったのである。政府は、ディーノとボブの敗訴をもとに、ペルティエを近距離からFBI人員を射殺した残酷な第一級殺人犯として描くシナリオを作る。裁判所の中には、射殺され、血に染まった2人のFBI人員の写 真と殺人凶器に使われたとするAR-15・セミ・オートマチック・ライフルが展示され、殺人現場の目撃者としてマイク・アンダーソンが証言台に立つ。 当時15才であったAIMメンバー、マイク・アンダーソンは、FBIに刑務所の中で脅迫を受け、彼らのシナリオを完成すべく証言を強いられた。彼の証言によれば、ジャンピングブルにある家の屋根から、ペルティエの赤と白のバンがジャンピングブルに乗り入れ、それを追ってFBI人員の車が入って来る。そしてペルティエがAR-15ライフルでFBI人員を射殺した現場を目撃したというものである。彼が、ペルティエの裁判に直接関わる以前の証言は、銃声が聞こえた時に彼は、AIMのテントの張ってあった場所にいたというものであり、他のAIMメンバーたちもそれを証言している。ペルティエの裁判の翌年にマイク・アンダーソンは、交通 事故によって殺害されているが、彼の死について正当な捜査はされていない。 ペルティエが殺人に使ったとされるAR-15ライフルは、ボブ・ロビドウの乗っていた車が、カンサス州ウィチタ付近のハイウェイで爆発したときに発見された。FBI人員の死体の近くにあった彼らの車から発見されたとする弾丸が、AR-15ライフルから撃たれたという証言が、FBI人員によってなされる。ある特定の弾丸が特定の銃から撃たれたものであるか否かを科学的に調べる、ファイアー・ピン・テストという調査がある。このAR-15ライフルは爆発によるダメージが大きく、ファイアー・ピン・テストが不可能として、より低いレベルの調査において銃器と弾丸の一致が認められた、とされた。 しかし、後にペルティエ弁護団の入手したFBIの記録によれば、裁判の1年以上も前にファイアー・ピン・テストがすでに行われており、その結果 、ジャンピングブル牧場に散らばっていたどの弾丸とも、このAR-15は一致しない事実が明記されている。ペルティエの裁判は、弁護側による一切の状況説明、証言、証拠の提出を、判事ポール・ベンソンに拒まれた。そしてFBIのシナリオ通 り、死体の近くから発見されたとする弾丸とダメージを受けたAR-15ライフルとマイク・アンダーソンの証言によって、ペルティエを殺人犯としてこの裁判は進められた。 1977年6月2日、レオナルド・ペルティエは、FBI人員ロナルド・ウィリアムスとジャック・コラーを近距離で射殺したとする第一級殺人犯として、連続する2回の人生における終身刑という裁判を受ける。
SPIRIT OF CRAZY
HORSE この声明は1977年6月1日、ファーゴの法廷で、ペルティエによって裁判に先立って読み上げられたものでる。 . ベンソン判事殿 私と私の支援者は、あなたが私に対して、2回の連続終身刑という裁判を下すだろうと確信しています。あなたは今、私やあなたの前に立ちはだかってきたアメリカ先住民に対しては、ことごとく偏見を抱いています。これまでもずっとそうでした。あなたはこの判決をとおして公然と連邦政府の肩を持ってきたし、この訴訟であなたはFBIの意向ならどんなことで喜んで実行しよう そう思っておられる。私がいつもそんなふうに思っていたわけではありません。スー・フォールズの法廷で最初にあなたを見た時には、あなたの威厳に満ちた風貌にごまかされて、法律のことはいくばくなりとも知っていて、法に基づいた行動をとる人であろうと信じ込んでしまった。つまりこの訴訟で、あなたが公平な態度を保って、一方の肩を持つことなどないだろうと思ったのです。ところが、そうではなかった。今では私は確信しています。あなたが私に対して2回の連続終身刑を課そうとしているのは、そうすればFBIのご機嫌を損ねないですむとあなたが思っている。ただそれだけの理由からだということを。何故あなたがアメリカの国民にこれほどまでの恥辱をもたらしてきた組織に、それほば気兼ねをされるのか、私の支援者や私には理解できません。しかし、あなたが気兼ねをされているのは事実です。この公判中のあなたの行動を見ていると、あなたがFBIの命じることは何のためらいもなく実行する人間であることは明らかです。 あなたがこれから行おうとしていることは、アメリカの法廷そしてアメリカの国民が、アメリカ先住民にかかわる訴訟において、公正な判断を下すことができなかったこれまでの歴史に、新たな一章を付け加えることなのです。幾世紀にもわたって、何百万人もの我が兄弟姉妹が、人種差別 的な白人のアメリカ人の手によって虐殺されきた後に、あなたがその伝統を打ち破り正義を実行してくれるなどと思い込んでしまった私の判断が賢明だったと言えるでしょうか。どう考えても、私の判断は誤っていた。私があなたに見て取ったのは、威厳の薄皮に過ぎず、ましてや高潔な人格などといったものではなかったことに気付くべきでした。私の非難が手ひどい、言い掛かりだとお考えなら、何故私がそういう結論に達したか、何故私の非難がこれでも生ぬ るいものであるかを説明して差し上げましょう。 第一点。この訴訟に関する調査を行う段階でFBIが犯した違法行為を、私の弁護団が明らかにし、その証拠を提出しようとする度に、あなたはこの裁判には関係がないと主張された。ところが、検察側は、この訴訟とはいかなる点から見ても無関係な証拠を提出し、有罪の主張をすることを許可されたのです。例えば、カンサス州ウィチタの高速道路での自動車の爆破、ウィスコンシン州ミルウォーキーでの殺人未遂事件(この件では私は無罪とも有罪ともされていません)、合法的に販売された武器を積んだバンやオレゴン州で誰かに発砲されたと主張している警官などです。アメリカ最高裁判所は、こうした形での有罪判決を避ける意図で、過去の有罪判決が証拠として提出することができるのは、それが訴訟に偏見をもたらさない場合に限られ、当該の訴訟に関わる証拠以外は使用することができないという判決を下しています。この法廷は、私は前科がなく、上に挙げた犯罪容疑で起訴されてもいないことを十分承知しており、したがって、この裁判という名の茶番劇で有罪の判決を課すために、そのような証拠を用いることはできないのです。こうした理由で、あなたが私に対して2回の連続終身刑を課すであろうと、私は確信している。 第二点。私に対する判決について、あなたは妥当な決定を下すことができなかった。何故なら、理性的な結論を導き出すことを妨げる三つの欠陥のうち、少なくても一つがあなたにはあるからです。そのことをあなたは、本件のジミー・イーグルとマートル・プアー・ベアーの部分についてあなたが下した決定のなかで、あっさりと暴露してしまっている。ジミーの事件では、意図的に、公然と法を無視する裁判官でなければ、あの件を私の裁判と無関係だなどと言えるはずがない。マートル・プアー・ベアーの精神的拷問については、彼女の証言は、もし人々がそれを信じれば、アメリカ国民の良心に衝撃を与えるであろうとあなたはおっしゃった。しかし、何を信じ何を信じるべきでないかを決めたのは、陪審ではなく、あなただったのです。あなたの行為によって衝撃を受けるのは、アメリカの法制度が象徴するもの、つまり市民からなる陪審による真理の探究なのです。彼女の証言が法的に持ち込まれることを、あなたがあれ程までに恐れたのは何故なのですか。いかに自分の名声が傷つこうとも、有罪の判決を下すために、前もって仕組まれた腐りきった裁判に加担したことに、罪悪感を感じたからなのですか。こうした理由で、あなたがFBIの命じるままに行動し、私に対して2回の連続終身刑を課すであろうと、私は確信しています。 第三点。私の考えでは、FBIがナバホの若者たちを訊問した際に用いた調査結果 にまつわる出来事の紛れもない事実、つまり、ウィルフォード・ドレイバーが3時間も椅子に縛り付けられて、弁護士と連絡を取ることを許さなかったこと、ノーマン・ブラウンの命を奪うという脅迫、マイク・アンダーソンに危害を加えるという脅かし、そして極めつきは、アナ・メイ・アクアッシュの殺害−こうした事実関係を見落とすような人間は、盲目で愚か者、さもなければ人間らしい感情をもたない人間に違いありません。だから、FBIがあなたにさせようとしていることを、あなたが今やらないでおくだけの能力が、あなたにあるという可能性はほとんどないのです。 第四点。あなたいは、ひとりのAIMの活動家を有罪にすることが、連邦政府自身の証拠が明らかにした事実、つまり、1975年6月26日の銃撃戦に多くのインディアンが加わっていたという事実を隠蔽することになるということを見抜く能力がないのです。あなたには、インディアンの怒りが大きくなりつつあること、多数のパインリッジ居留地の住民が自らを守るために、1975年6月26日、武器を手にしたことでわかるように、アメリカ先住民たちが資本主義者アメリカ人の軍事力によって、これ以上包囲侵略されることに抵抗するであろうという事実は、連邦政府にとって圧殺しなければならない事実だということを、見抜く能力がないのです。だからあなたは、公正に私に対する責任を全うすることができず、2回の連続終身刑を私に対して課そうとしているのです。 第五点。私は誇りある人間としてあなたの前に立っています。私には罪の意識などありません。罪の意識を持たねばならないことは何もしていません。アメリカ先住民のひとりであることに何の後悔の念も持っていません。アメリカ、カナダ、そして世界中の何千人もの人々が、私に対する支援を続け、この法廷で起こった不正義を明らかにしてくれるでしょう。こんな醜いシステムのもとで生きて行かなければならないあなた方は、かわいそうだと思います。あなた方のシステムのもとでは、あなた方は貪欲、人種差別 主義、そして何よりも母なる大地を破壊することを教え込まれるのです。アメリカ先住民のシステムのもとでは、私たちはすべての人々が兄弟姉妹であり、富は貧しい人たちと分かち合うのだということを教え込まれます。更に、最も重要なことは、大地を敬い、保護することを教え込まれるのです。私たちは大地を私たちの母と考えているのです。私たちは大地の乳房から生きる糧を得ています。私たちの母なる大地は、私たちがこの世に生まれ落ちたときから私たちを育み、この世を去るときが来れば、母の子宮へと私たちを戻してくれるのです。肝心なことは、子供や孫のために大地を保護することを教えられるということです。彼らこそが大地に住む、次の世代であるからです。私は、絶対に有罪ではない。犯罪者と呼ばれるべき人間ではありません。人種差別 主義の白人アメリカこそが我々の土地を破壊し、我々の民を殺害した罪を犯した犯罪者なのです。あなたの罪をアメリカのまっとうな人たちの目から隠すために、あなたは私に2回の連続終身刑を私に課そうとしているのです。 第六点。2億人のアメリカの人口に対して、連邦裁判官は400人以下です。従って、あなたは非常に強力で、重要な責任を負っており、その責任を公正に全うする義務があるのです。ところが、私にかかわる事件では、あなたは一度たりとも公平な立場をとってこなかった。あなたは、憲法上の権利と法を守る責任を負っていながら、私にかかわる事件では、私あるいはアメリカ先住民に保証されている憲法上の権利を考慮しようともしませんでした。おまけに、これが最も重要な点ですが、あなたは私たちの人権を無視したのです。もし、あなたが公正であれば、本件における事実関係の論点のすべてに対して、偏見のない態度で臨まれたでしょう。しかし、あなたは警官が証言台で偽証する可能性が、わずかでもあるということを認めようとしなかった。そんな態度では、ひとりのアメリカ先住民の活動家を本件において有罪にすることが、FBIにとっていかに重要なことであるかを、私の弁護士に証明するだけの公正さをお持ちでなかったのも当然です。私に対する有罪判決が、白人の新たな脅威、つまりウラニウム、石油、その他の鉱物資源の採掘の過程でわずかしか残っていないインディアンの土地を破壊しようという試みに対して注意を喚起しようとしている人たちの、信用を失墜させようとする動きの重要な一部を成していることを、見抜く能力があなたにはないのです。あなたは、そういうことに加担していることを隠蔽するために、またもや私を2回の連続終身刑に値する、残虐冷血な殺人犯だと言うつもりなのです。 第七点。刑務所で私がおかれて来た状態を公然と容認してきた裁判官が、私の罪状が同時的終身刑であるべきか、それとも連続的終身刑であるべきかを公正に決定するとは、とうてい思えません。あなたは判決以来、グランド・フォーク刑務所で私が耐え忍んでこなければならなかった、以下のような状態についてはよく知っているはずです。 (1)私は、控訴に関して、私の弁護士に電話をかけることを許されなかった。 いかなる人間であっても、こうした扱いを受けるべきではありません。あなたは自分が人間的で、公正で、順法精神に富んだ人間であるかのように振る舞いながら、ファシストの主任副保安官がナチスの突撃隊員ごっこをしているのをわざと黙認したのです。またもや、あなたが私に対して2回の連続終身刑を課そうと、今、そしてこれまでもずっと思っていたと結論せざるを得ません。 最後に、あなたが、私が有罪であり、法律で許される最大の刑を私に課そうとずっと前から決意されていたのだと私は堅く信じています。しかし、私は驚きません。何故ならあなたは「神を信じる」と言いながら、私の同胞を殺害し、私たちの文化を破壊しようとしてきた人種差別 的白人アメリカ人の中で、高い地位を占めているからです。私が有罪で、有罪判決を受けた唯一の理由は、私がチペワとスーの血を引き、私たちの聖なる宗教を信じたことなのです。ペルティエの声明文に対するベンソン判事の回答は以下のとおりである。「あなたは、自分があなたの同胞のために闘う活動家であると公言しているが、あなたはアメリカ先住民にとって面 汚しだ」レナード・ペルエは2回の連続終身刑の判決を受け、仮釈放の権利が生まれるのは30年先である。 . 暗殺計画 連邦政府の権威者たちは、刑務所内でレオナルド・ペルティエを殺害する陰謀を企んでいた。政府は協力者を探し、ひとりの囚人を得た。その囚人の名はロバート・ヒュー・ウィルソン=アカ・スタンディング・ディアである。スタンディング・ディアの仕事は、レオナルド・ペルティエ暗殺の一端を担うことであった。しかし彼はペルティエを抹殺する代わりに、ペルティエに陰謀を伝え、政府の暗殺計画を抹殺した。 ペルティエは命を狙われていることを知り、1979年7月20日、ダラス・サンダーシールドとボビー・ガルシアと共に、ロンボック連邦政府より脱獄する。ダラスは脱獄中に殺され、ボビーは刑務所の外で捕らえられた。レオナルドは、5日後に捕まる。ボビー・ガルシアはテラハウト連邦刑務所で首吊り状態で発見され、法的には自殺とされている。スタンディング・ディア、ダラス・サンダーシールド、ボビー・ガルシアは刑務所の中でペルティエと出会い、三人それぞれに影響を受けている。ダラス・サンダーシールドが彼の居留地、スタンディングロックの人々にあてた手紙私の心の内にある気持ちを、スタンディングロックにいる全員に伝えたい…。 私たちは、我々の文化と祖先の教えを保持していくことの大切さを認識している。しかし、私たちはあまりにも白人的思考の中に入り込み、彼らと同じように考え始めている。「大地か金か?」何が子供たちや、まだ生まれて来ていない世代にとって、より意味のあるものなのだろうか。私自身、すべての人々がその上に生きるものとして、この大地は売り物ではないと信じている。もし大地が売られてしまえば、金がなくなった時、子供たちは一体どこで生きていけば良いのだろう。人々が、この大地のために命を捧げ、死んだ。そして私たちもまた、少なくとも敬意を表し大地を守るか、あるいは命を捧げるかである。−レオナルド・ペルティエの魂の中でサンダーシールド・D(ドッグ・ソルジャー)1979年11月24日、刑務所から人々へのメッセージ(一部省略)(訳注:グリードは欲望、貪欲=政府、白人的アメリカ社会を表している) イリノイ州にあるマリオン刑務所の中で、グリードが私に話をもちかけた。我々の祖父たちが、それ以前に彼らの父親たちがそうされてきたように、もし私が我が兄弟を殺すべく、いけにえの祭壇にその男を送り届けることができるなら、私は懸賞を受け取ることができる。それは、たとえ私が自由にはなれないにしても、確かにそれに近いことではあるはずだ。その頃の私は、自由を得るためなら、どんなことでもしようと考えていた。自由がこの世で最も大切なものと、私には思えた。何という代償が、グリードの薄汚い仕事に支払われるのか。ひとりの男の命など、たいした犠牲ではなかった。(純潔のインディアンであるにしろ)グリードとして育てられた私にとって、グリードへの支払は、代償と呼べるものではなかった。 私は自分の幸運がほとんど信じられず、彼らが心変わりする前に急がねばと考えていた。1日24時間、孤独な狭いオリの中に閉じ込められて自由な自分自身を空想しているのは、ひとりよがりな思いつきでしかない。我見か錯覚か。この世にこの地獄を築いた創始者たちは、その犠牲者たちがどんなに救いがたい絶望の中に生きているのかを確かに分かっているはずだ。松ヤニの中でもがいている虫けらのように…。私は悲しくも、その男、レオナルド・ペルティエを死の旅に送り出そうと決心した。私は不浄の金をかき集め、出獄することができたはずだ。そうだろう。でもそうではない。そうでないとしたら、なぜそれができなかったのかを知らせたい。暑い7月4日の昼下がり、私はマリオン刑務所の中庭でレオナルド・ペルティエに会った。囚人たちはそこで、直火で焼かれたハンバーガーとホットドッグを食べていた。祖父なる太陽が照りつけ、午後を彼と一緒に、ただ座って話をするのは心地よいことであった。 話すにつれ、私は彼が彼の民族の問題について論ずるとき、その表情の奥に激しく熱い感情があるのを見て取った。彼の人々への愛の深さ、すべてを捧げた誓願を、見たり聞いたりする以上に理解することができたのだ。彼の体にはサンダンスのフレッシュ・オファリングとピアスの跡があった。彼が静かに聖なる事項について語るのを、私と他のインディアンたちは、尊敬の念を持って聞いた。彼が深い信仰の人であることを理解し、私は考えた。我々は何という転倒した世界を生きていることか。この世の罪人たちが、犠牲者たちを犯罪者として描いたとき、目覚めていない未来の犠牲者たちに、彼らの茶番劇を信じさせることになる。レオナルドは、彼が育ったチペワ居留地の当時の様子を私に語ってくれた。飢えと病とアルコール中毒が蔓延しており、貧困は全員の運命であった。そして人々は毎週集会を開き、最悪の状況をなんとか解決しようと努力していた。食物はあまりなく、すべての人にとって、毎日が飢えの日々であった。集会の終わりに人々は共に座り、彼らが手に入れることができたわずかな食物を互いに分かち合っていた。 レオナルドが14才の頃のある日、チペワの女性が立ち上がって涙を目に浮かべながら、家で飢死にゆっくりと向かっている子供たちを、誰か助けて欲しいと訴えるのを彼は聞いた。彼女は、私たちの部族の中にウォリアーはいなくなってしまったのだろうか、もしいるなら、彼らは飢えに苦しむ子供たちのために、何故立ち上がって闘わないのだろう、と尋ねた。レオナルドはその日、自分に残されている人生を彼の民族に捧げる誓願を立てたと語った。彼の話を聞いて、自分自身の人生を振り返ってみた。白人として白人の価値観の中で育てられた、純潔のオネイダ・チョクトウ族のインディアン。完全なる文化的抹殺。私は6才になるまでに、私の中にあったインディアンを奪われてしまった。私の祖父のことと、彼がよく聞かせてくれた物語を覚えていることで、おしおきされ、殴られた。私の祖母が教えてくれた歌を歌うことは、禁じられていた。茶色い肌のワシチュー(白人)、私自身。 もう一度、自問する。「何という代償がグリードの薄汚い仕事に支払われるのか」代償は、私の前に座っている恐れなきウォリアー、グワス・イー・ラス(ペルティエ)の旅を終わりにすることだ。私に残された人生とこの男の命を比べると、彼の民族…私の民族…へ、愛と献身を捧げるこの男の人生は、それほど情熱的で純粋でトータルであったのだ。私は、合衆国が彼の命を狙っているという計画を話すために中庭に来たわけではなかったが、その陰謀の薄汚い詳細のすべてを話すこととなった。私の心は潔白ではなく、どんな対応を受けることになるのか分からず、恥ずかしさで一杯となった。私は彼に告げたその瞬間まで、話すべきかどうか定かではなく、罪の意識を抱いていた。レオナルド・ペルティエは、全くの愛情と信頼をもって私の目をのぞき、握手を求めた。 「私に知らせてくれて、ありがとう」と彼は優しく言って、ほほ笑みかけた。そのとき以来、私は自分が、故郷、我が民族のもとへ帰って来たのを知っている。マリオン刑務所の中で、レオナルド・ペルティエと共に過ごした何ヶ月間が、人生において最も尊い日々であった。レオナルドは、私の人生を本来の道に戻してくれた。彼は私をルーツに触れさせ、ワシチュー(白人)のグリードのもとに、長い間私の人生の中で埋もれていた人間性を取り戻していく道を歩ませてくれた。クレージー・ホースは、捕らえられた後、白人の鉄のオリの中で殺されたその日まで、トータルな抵抗の魂の中にあった。レオナルドは、クレージー・ホースの魂の中にある。グリードが彼の言葉を聞き、彼のウォリアーのイメージを知ったとき、征服されることのない人々の魂が、解き放たれるのを待っていることを認識する。そしてグリードは、征服されることのない人々を恐れている。「力は(人々からの)要請なしには、何もなされない。過去になされたことはなく、これからもそうであろう」というフレデリック・ダクラスの言葉がある。レオナルド・ペルティエは、その要請を呼び起こす先住民、自由の戦士の象徴となった。レオナルドは抵抗の精神を代表している。彼は人々の魂をして言わしめる。「ノー!もう十分です!もうこれ以上は。あなたたちは、欲しいものはすでに奪い尽くしたではないですか!」と。これが独立主義の魂と共にある精神である。グリードは、クレージー・ホースの死を望んだ。グリードは、シッティング・ブルの死を望んだ。グリードは、レオナルド・ペルティエの死を望んでいる。グリードは、クレージー・ホースとシッティング・ブルを望み通
りにしたが、決してレオナルドを捕らえることはできない。 レオナルド・ペルティエを自由に!!!−スタンディング・ディア生命への断食1984年4月10日よりレオナルド・ペルティエ、スタンディング・ディア、アルバート・ガーザ(レチャザ)は、アメリカ先住民の宗教の自由を求め、約2ヵ月間の断食をマリオン連邦刑務所の中で行う。 . ペルティエ・メッセージ(前半省略) 今日、我が兄弟スタンディング・ディアとレチャザそして私は、オウ・オペ・ワカ・キン、創造主の胸の中に帰って行く旅、生命への断食を始めます。私が刑務所内での我々インディアンの宗教儀式について尋ねる時はいつも、すべての宗教儀式は一時的に停止状態である、という答えが返ってきます。そして近いうちにはテレビが備え付けられ、あらゆる宗教活動はビデオで見られると。もし、このような状態であるなら、私は毎朝毎晩の祈りに焚くシーダーやスイートグラスの甘い香りを嗅ぐことは許されないのでしょうか。兄弟と精神的指導者と共に、聖なるパイプを吸い、祈ることは、もうこれからできなくなるのでしょうか。我が民族に、語り尽くせぬ ほど永い間歌い継がれてきた、宗教的インディアンの歌の、優しく愛しい音魂を、聖なるドラムを囲んで歌うことや聞くことが、もう許されないのでしょうか。民族を愛するインディアンにとって、文化と宗教を取り上げられることは耐え難いことなのです。私個人は、今その悲しみの中にいます。合衆国政府が人々に対して「あなたの宗教は法律に違反する。もうこれ以上インディアンの宗教を学ぶことは許されない」と伝えた時、我が民族は涙の中に耐え忍んでいました。我が民族が以前そうであったように、創造主の、最も神聖な我々の宗教を崇拝し学ぶことを、踏みにじられ抑圧されることは、私には受け入れられることではなく、耐えることはできません。 我々の語り手により受け継がれてきた言葉によって、女性の姿で示現した真白いバッファローの聖霊が、すべての生命あるもののために聖なる儀式のパイプを我々に授けた、という奇跡を思い出します。彼女は、我々に聖なるパイプと儀式が保たれる間のみ、生命は存続していくと約束されました。我々三人の宗教葬具は没収され、壊されてしまいました。いかなる人であれ、たとえどんな罪で捕らえられている人でも、彼らが信じる宗教を修めていくことを禁じ、否定する権利は誰にもありません。この貪欲な、鉄のオリを守っている人々は、我々と同じようには信じていません。断食に入って何日かした時、彼らは無理やり食物を取らせようとしました。この刑務所は、ただ食事を取らない人と、宗教的断食の区別 ができません。我々が人としてこれ以上生きることができないなら、我々がこれ以上宗教儀式の復活に参加できないなら、私がこれ以上霊性から受け取る平和と調和の精神を分かち合えないなら、その時私たちは、真実の家、故郷へと帰って行くでしょう。彼らは聖なる法、オウ・オペ・ワカ・キンを取り上げてしまいました。それ故、我々は死の断食、生命への断食を始めます。 私たちは今、愛情を抱いて誠実に、我々一人一人に与えられた創造主からの最も貴重な贈り物、我々の体と、我々の魂と、我々の痛みと、我々の生命を捧げ返します。スタンディング・ディアとレチェザは、私の兄弟です。私たちは創造主の魂を共にしています。あなたが私に協力してくれている時は、彼らにも協力しています。彼らと分かち合っている時、私とも分かち合っているのです。この断食は、世界中の平和運動や反原発運動の団結と共にあり、そして私たちは、我々の母なる大地と愛すべき子供たちの未来を破壊する、この狂った人々の支配を止めることができるでしょう。 クレージー・ホース、シッティング・ブル、ウェボカ、ジョー・スタンツ、アナ・メイ・アクアッシュの魂の中で…。 上訴 [レオナルド・ペルティエ サポート・グループ] |
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