ロングウォーク以降、一年余りが過ぎました。その間に起きた多くのことを少し述べたいと思います。

2000年2月1日以降、ビッグマウンテンでは、事態は何も変わっていないどころか、世間の関心が薄まるに従い、いつもにも増して住民、サポーターに対する裁判やいやがらせは執拗に繰り返されています。そしてそれに関するニュースや新聞記事等の切り抜きが現地の友人から送られてきています。

しかし、ウォーク以来初めて訪れた2000年の夏のサンダンスでは、その一年前に受けたどうしようもない絶望感ではなく、いくつかの希望もしくは変化の兆しを感じました。
一つには、'99年日本に来てアイヌモシリと九州で祈りを捧げてくれたマーシャルがサンダンスの直前ビジョンクエストを旧サンダンスグラウンド、サバイバルキャンプで行ったことです。そこはかつてのホピとナバホの共同使用区で境界線が引かれてからは、HPL(ホピ分割地)となりましたが、分割される以前からそこではナバホの地で初めてもたらされたサンダンスを毎年行ってきました。しかし、'96年、部族政府警察はじめ州警察までもがサンダンスを取り囲みそこでの儀式を妨害して以降、現在のNPL(ナバホ分割地) 側にリロケーションされたのでした。

ここは、僕にとっても想い出深い場所です。かつて、島貫上人や日橋さんが踊っていたところであり、それ以外にも今はもうスピリットの世界へ行った懐かしい人たちが踊っていたところ、そして自分もここで初めてサンダンスと出会い、その輪の中に入った場所だからです。
円型を留めるそのグラウンドはセージや草が生え、木陰を作り、その下で見守る大勢の長老たちがいたアーバー(サークルの回りの屋根がかけられた部分)はくずれ落ちてはいたけれど、ダンサー達がパイプを置いた祭壇の跡は、雨に打たれ少し壊れはしていたけれど当時の姿を残していました。

そのサークルの中心、かつてのサンダンスツリー、生命の樹が立っていたところにマーシャルは座りました。2晩を眠らずに食、水を断って生まれたままの姿でセレモニー用のブランケットだけをかぶり、パイプを持って啓示を乞います。
チーフ・クロウドッグを始め、他のチーフ、リーダー達とともに、彼に祈りを送るためここに来れたことは何よりでした。かつてのスウェットロッヂのための火をおこした場所で火を焚き、セージを燃やし場を浄め、ドラムを打ち唄を歌い、皆で祈りを捧げました。それはそこに祈りが再び還ってきて、その場に儀式が捧げられたことを意味します。その地の精霊に、そこがまだ聖なる場所であることを我々人間が忘れていない、ということを伝えたことでもあると思います。

もちろんいまやそこは HPL となり毎日のようにホピ政府レンジャーが監視するなか、事実僕たちもレンジャーより警告は受けたりもしたのですが、無事マーシャルは2日2晩祈りを捧げ通すことが出来ました。
ビジョンクエスト明け、朦朧とした意識の中で彼の口から出たことは、「俺は見た、サンダンスの木が中心にそびえ、アーバーがまわりを囲み、伝統的な衣装を着た長老たちがその中に並んでいる。祭壇にはパイプがたくさん捧げられ、人々がそのなかを踊る…」それはかつてのここでのサンダンスであり、もしかして再び未来に還ってくる光景(ヴィジョン)かもしれない、と、僕には思えました。

もう一つの大きな出来事は、ビッグマウンテン内で2つに分かれたサンダンスのもう一方の場であるアナ・メイ・キャンプのサンダンスツリーが、サンダンスの直前、嵐に見舞われ真っ二つに折れたことにより、今回のサンダンスは中止されたことでした。
そのような事態はいままで聞いたことがなく、その象徴である木が折れるということが何を意味するのか。

もちろん僕には伺う術もありませんが、その話を聞いたチーフ・クロウドッグの口からは「・…別れるべきではなかったサンダンスがもう一度一つになって戻ってくる」という言葉でした。これはそのままの意味で受けとるべきものかどうか解かりませんし、事実 後ほどアナ・メイを訪れ、その木のところでセレモニーを行った折に、そこを世話するルイーズに直接クロウドッグから伝えられましたが、ルイーズ自身は、今年は中止するが、自分の亡き父親が夢に立って、来年以降再び木を立ててダンスをやるよう言ったので自分は続いて行うつもりだ、と言いました。

もちろん以前のサンダンスのようにビッグマウンテンに住む人たちが一つになってこの地と人々が切り離されないよう祈るということはとても大事なことだと思いますが、そんな、儀式とはいえそこに人が介在する以上、様々な事情があるということも聞いてはいます。
そして2つに分かれたサンダンスというのは、そのままこのビッグマウンテンの状況を象徴してるといえるでしょう。しかし、部外者としてはそのことについての良し悪しは簡単には言えない理由があるでしょうし、この折れたサンダンスツリーの物語る、本当の意味するところは、きっと時が来ればその必然の糸に繋がれたグレートスピリットのはからいとして解かる時も来るのでは、と感じています。

しかし今年はその理由ゆえ、普段の年は一方のサンダンスには姿をみせないルイーズが来て一緒にスウェットをやったり、スピーチしたり、そして2つに分かれてサンダンスを行っていた地元を始め、他からのサンダンサーたちが、一つの場所で一緒にスウェットロッヂで祈ったり、サンダンスを踊る光景が見ることが出来ました。

もちろん幾つかの混乱や分裂騒ぎもサンダンス中に起きました。、なかでもサンダンスチーフのクロウドッグが最終日の朝、サンダンスを一日残して帰ってしまうという事件もありましたが、そのためサブのチーフであった日本にも来たことのある地元ディネのノーマンが最終日のダンスをコンダクトするという、世代の交代と、初めてディネのサンダンスチーフによるサンダンスともなったのです。いろいろな見方、うわさは飛び交っていましたが、僕自身やはり希望の方が多く感じられた2000年夏のビッグマウンテンでした。

日本に戻って以降、その春頃から関わっていたヒロシマ原爆の残り火を全国各地に、世界中に平和の象徴として運ぶ、ということに大きく動かされていきました。まずは八月に行われた「いのちの祭り2000」の会場に、ロングウォーク最終日の2月2日にビッグマウンテンで行われたセレモニーで使われた燠火とこの火が合わされ、ウォークとなって運ばれて、祭りの間灯されました。そして、多くの仲間が各地に分灯の輪を広げるなか、以前ウォークで立ち寄った日の出の森トラスト地へも強制収用直前に2日間かけてウォークで運ばれたりもしたのですが、そんな頃、今度はこの火を持って東京から広島に、今世紀中に歩いて運ぶピースウォークの話につながっていったのです。

それは北米東部の先住民アベナキ民族で、以前('92末〜'93初)NY州からカナダ北東部イヌー居留地まで共にウォークをしたことのある、トム・ドストウ氏が言い出したことで始まりました。それははからずも、ウランをはじめとする石炭などの大量の地下資源採掘のため、大地とそこに住むいのちが危機にさらされていることに対する支援として、日本から亀の島へ祈りのウォークをしたことで始まった2000年が、今度はその亀の島から僕たちの住む弓の島へ先住民のメッセンジャー(トムはホピの故トーマス・バンヤッケやマーティン・ガスリスウマとも縁が深い)が、55年前に広島に落とされた元はビッグマウンテン近くフォーコーナーズ付近より掘られたウランから造られた原爆の火を携えて広島まで歩く平和行進で終えよう、ということになったのでした。

10月13日、東京日本橋から東京在住のアイヌ民族、浦川治造さんによるカムイノミに見送られて、ウォークはスタートしました。これの発端となったヒロシマ2001代表の奈良先生、トムをはじめ、遠くアメリカ、南アフリカよりそして日本各地より集まった人が、広島を目指しました。途中、東海地震予想震源地の真上に建つ浜岡原発や長良川河口堰で祈りの集いを持ちながら、東海道、山陽道沿いを各地の支援に助けられ歩いてゆきました。

12月6日、原爆が落ちて55年目の、出発して偶然にも55日目に無事広島に火が戻りました。その時に出迎えてくれた大勢の被曝者の人たちに交じって、'88年8月6日ここよりスタートして各地の原発を巡り、北海道幌延まで走り抜けた「大地といのちのためのランニング」 "SACRED RUN" に参加して、いまは日本人の奥さんとここ広島に住むビッグマウンテン出身のユージン ハズグッド氏の姿もありました。

広島では約1週間、様々な平和の集いが持たれたのですが、そのなかでも、大阪の堀越由美子さんより託されたラグナ・プエブロインディアンのドロシーさんの遺品を、広島の街を見下ろすお仏舎利塔のかたわらに埋めさせていただくことになりました。
彼女は居留地が見舞われたウラン採掘による放射能汚染で被曝し癌のため丁度1年ほど前にこの世を去りました。生前、広島、長崎にも原水爆禁止世界大会のゲストとして訪れたことがあるそうです。また、このお仏舎利塔は、インディアンとも縁の深い日本山妙法寺広島道場にあり、5年前の'95年、被爆50年目の8月6日、朝8時15分にはアイヌモシリと琉球より走ってここで合流した SACRED RUN のデニス・バンクス氏はじめ多くのインディアンに交じり、僕たちもバヒ・キャダニーと姉のエベリンたちビッグマウンテンから来た人と共に輪をつくり祈りを捧げたところでした。
ドロシーのセレモニーを終えたトムは、今日からヒロシマと我々インディアンの被曝した大地が繋がった、と言いました。
また、この時広島に来ていた世界中、日本中から集まっていた2000人以上の人のなかには、アイヌ民族のアシリ・レラさんやアラスカ先住民クリンギッドのボブ サム氏の姿もありました。
そして、ここまで運んできた火に新たに平和公園で灯されている "平和の灯" 核兵器がこの地上から廃絶されるまで燃やし続けられている火が新たに加えられ、その火を携えて長崎まで歩いてゆくことになったのです。
トムを始め海外から来ていた人たちは、ここでお別れとなりましたが、その長崎ウォーク出発の朝、平和公園慰霊碑の前でサークルを組んだ時、偶然そこにアフリカからの人が居合わせ、訳を話しその輪の中に加わってもらいました。それはグレートスピリットの願いである、天と地の間に黒、赤、黄、白の肌の色の人が輪(和)を作るということの証しのような瞬間でした。
そしてトムたちに見送られ、再び長崎目指して歩き出しました。
途中、偶然にも原発建設予定地、山口県の瀬戸内海にある上関にも立ち寄り、その奇跡のような美しい海で祈りました
原爆と原発、インディアンの大地とヒロシマ、ナガサキ、過去と未来を結ぶこの行進は、そんな現実に直面しながら歩かされて行きました。
12月31日、ウォークは無事、長崎爆心地公園に到着しました。ここでも長崎を地上最後の被曝地とすることを誓うため、遠くアテネのオリンピアより運ばれた聖火“誓いの火”がこの運んできた火に加えられ、それから点火された2001本のペットボトルの灯明に照らされながら世紀の変わる瞬間を迎えることが出来ました。また近くの浦上天守堂でも新世紀のミサにこの火が灯されました。
新世紀明けて、諫早湾にて雲仙普賢岳より昇る初日の出を拝みました。その直後、偶然にも水平線よりやってくる近隣県漁師の大船団をギロチンで閉められた潮受堤防の前にて迎えることになりました。

"宝の海返せ!" と叫ぶその声は、母なる海とともに生きてきた人たちの魂の叫びであり、ビッグマウンテンや他の先住民たちの叫びに共通する、そこでしか生きられないものたちのいのちの声でした。
それはきっと天にも届く祈りの声だと心が震えました。そしてここに居合わせた皆に、この初日の出のような希望涌き出る新時代の始まりを予感させるものとなりました。
3ヶ日明けて1月4日、福岡県八女郡星野村に灯し続けられている元々の原爆の残り火に会いに行くことになりました。ここより有志3人のウォーカーが、4月予定されている長良川のウォークに向けて歩いてこの火を運ぶことになったからです。ここからは、これまでのようなサポートカーもつかず、寝食も予定されておらず、テント、ナベ、食材それぞれかついでのサバイバルウォークとなりました。

"水をつなぐ" という呼びかけで始まる今年で10回目の長良川ウォークに向けて、渡る川それぞれに祈りを捧げその川の名前を書き留める。星野川より始まり長良川で終わる、その間に記される数百の川の名前を経文のように祈りとするためです。
その頃、大鹿村のカズさんが呼びかけ人となって "東海地震の前に浜岡原発を止めよう祈りのウォーク" が始まりました。これはヒロシマ・ピースウォークでも立ち寄った相良海岸から浜岡原発が一望できる砂浜まで半日歩くことを毎月 1 回続けていこうというもので、第 1 回目は阪神大震災の起きた1月17日に約50人が参加しました。
長良川を目指す3人は毎日交代でディリーレポートを発信しながら、原発立地でもう20年近くも揺れる山口県上関町に再び足を運び、その是非に大きく影響する近隣の柳井市の市長選に立ち合い、途中別れて一人は四国、吉野川に渡り、歩き始めて77日目の3月21日、無事長良川に到着しました。記した川の数338、それを河口堰の前にて読み上げました。

同じ頃、帰米したトムから電話があり、もう一度この広島の火を携えて亀の島(北米大陸)を、世界から核が廃絶されるまで歩き続けるという、ネバーエンディングウォークのヴィジョンが語られました。
その後、先のピースウォークの主体となった広島市民による団体のメンバーで、ヒロシマを世界にもっと知らせていこうと活動しているアメリカ人のスティーブからもこの件について連絡がありました。彼自身、大統領選挙以降のブッシュ政権がいま世界に対して行おうとしている政策をアメリカの友人たちと検討した結果、あまりにも露骨に軍事力を背景にグローバリゼーションを推し進めることに強い懸念を抱いており、この点からもこの壮大な夢のようなウォークの実現を支持し、そのための基金やネットワークを立ち上げようとしているということでした。
それはトム自身もインディアンとして感じている危機感であり、このブッシュ政権を支持する背景にある産業構造が、戦争を原子力政策を、旧態なエネルギー政策を支持するものであるため、そのために彼らの置かれているアメリカ先住民の状況がより一層悪化するとの懸念だからです。

ネバーエンディングウォークの話が夢のままで終わるか、実現するかどうか。それは単に歩くという行為だけを指すものではなく、ビッグマウンテンのロバータばあちゃんが言った、「いままで生きてきたこともウォークだし、これから生きてゆく人生もウォークそのものなんだよ」という言葉にすべてが象徴されていると思います。
前世紀中に解決出来ずに今世紀まで持ち越された「核」という問題。それは単に核兵器だけに留まらない、ウランを採掘することによるさまざまな汚染と、あまりにも大きいリスクを含んだ原子力発電所、そして何ら解決のメドも立っていないまま日々大量にそこから生み出される核廃棄物…。それはそのまま「核」というものに象徴される現代文明の在り方、その選択が問われていることに他なりません。

それを大転換して行くための行動、その一歩を踏み出すことこそがいままでも、そしてこれからも続いてゆくネバーエンディングウォークの真の意味だと思います。
ともあれ、4月には全国各地で行われたアースデイと連動して、長良川を源流より河口堰まで再びこの火をもって約2週間歩きました。そして4月29日最終日にこの河口堰前の河川敷でギャザリングを開きそこで全国、世界中のさまざまな長良川問題、ビッグマウンテン問題について確認し合う場を持ちました。ここで灯された火は「ひようこま」のケンゴが預かり5月8日日本山妙法寺の成田道場の仏舎利塔落慶法要の席でも灯されました。
ここでは広島から来ていたスティーブと安田純法尼、加藤上人たちと一緒に、トムの誓願したこの壮大なウォークの実現に向けて具体的な話し合いが持たれました。この席でジュンさんは「・・・抑圧の歴史のなか生き抜いてきたアメリカインディアンの人が自ずから世界の平和のためにその身を捧げ歩き出そうと申し出たことは、とてもありがたいことです。その意義はインディアンの人たちだけのことではなく、この世界すべての人にとってとても大事なことです。だからそれをリスペクトして自分も出来るかぎりの支援をしたいと思います。」と言われました。

浜岡原発へもほぼ毎月祈りのウォークが行われています。
8月に開かれる長野、佐久での "旅人のまつり" に向けて長良川河口堰からのウォークも予定されています。また各地で仲間が核のことや、いのちについて、集まりや行動を起こし始めています。建設への GO サインが出された上関原発予定地に対しても地元山口のピースウォークで共に歩いた源の助さんやナカちゃんからまた何らかの呼びかけもあるでしょう。そう、これまで続いてきたウォークはもうすでにネバーエンディングウォークとして始まっているのです。

「ひょうこま」のケンゴがいま火を預かっている理由の一つ。
今年からキャラバンで全国各地を「ひょうこま」が回る、その第1回目の長良川でこの火を預かることになったのだけど、「ひょうこま」逆さに呼ぶと、

「まこうよ ひ!」

人の手を介して足で、一歩一歩運ばれてこの火は動いていますが、それは人間の意志、想いを超えて、この火自身がこれから先、行く先を決めているような気がします。これまでもそうであったように、然るべきところに、絶妙なタイミングで。

だから僕たちはそれを信じ切って、あるときは火や、またあるときはパイプに姿を変え現れる大いなる意志にすべてをまかせ、ただ自身の踏み出す一歩が美の内に、いつまでも美の中に在ることを祈り、歩きつづけていこうと思います。

最後になりましたが、共にビッグマウンテンまでの道を歩き、そして一足先に美の世界へ還っていった、おケイさん(日光敬子)、ケンちゃん(西村健)、そして、ロングウォークの途中お世話になった、ナバホ居留地キャメロンでウラン採掘汚染について "ヒロシマ" から来た僕たちにそのことを訴えていたその町の議長セイモア・ツォ氏にあらためて追悼と感謝の意を捧げたいと思います。

いのちの道にいのちを捧げたあなたたちのスピリットが、共にこれからも僕たちを導いてくれ、そしていつまでも一緒に歩いてくれますように。


・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
先に往くものと共に美の中を歩めますように。
後から来るものと共に美の中を歩めますように。
空なるものと共に美の中を歩めますように。
母なるものと共に美の中を歩めますように。
遍ねく在るものと共に美の中を歩めますように。
  すべては美の中なされた
  すべては美の中なされた

    (ディネのお祈りの最後の言葉)

WALK IN BEAUTY PROJECT
ハル  山口晴康
2001年 夏 サンダンスを前に。

ヒョウコマについては
http://www.m-net.ne.jp/%7esora/SORAnetwork/hyokoma/hyoukoma.html

ヒロシマ・ナガサキピースウォーク、浜岡ウォーク、長良川ウォークについては、
http://www.otsukimi.net/walk/

    追 記
  • 長野県に予定されていたホーガン建設プロジェクトは借地の問題で現在中断されています。バヒより「ニッパシ・メモリアルセンター」という名で届いたホーガンの設計図を元に、どこか、大勢の人が集まり "聖なる地球の集い" が出来る永続的な場所に、その製作も含めて共同で取り組んでいけるようなプロジェクトとしたいと願っています。
    実現のメドが立ち次第またお知らせします。また、どなたか心当たりのある方がおられればご連絡下さい。

  • The Long Walk For Big Mountain(ビッグマウンテンへの道)の記録映画が完成しました。ドキュメンタリー映画の第一人者である大重潤一郎監督が現地で撮った映像に日本のウォークの映像を加えて1本の作品に仕上げてくれました。音楽は一緒にビッグマウンテンを歩いた天空オーケストラの岡野弘幹さんがつけてくれ、ナレーションは山尾三省さんが語ってくれました。ウォークやビッグマウンテンのことを知らない人が見てもその聖なる大地の空気が伝わる映像となっていると思います。いずれ VIDEO 化はしたいと思っていますが、まずは少しでも大きい画面でビッグマウンテンを感じてくださるよう各地での上映会を開催していただきたいと願っています。
    詳細は 0563-59-3890 WALK IN BEAUTY PROJECT か 06−6887−5110 海プロダクションまでご連絡下さい。


WALK IN BEAUTY PROJECT
山口 晴康
email : >> コンタクトフォーム
URL: http://www.walkinbeauty.net


縁あるすべての皆さんに ALL MY RELATIONS.