![]()
2002年「広島原爆の火」ピースウォーク in U.S.A. 山口晴康(Walk in Beauty Project) 22000年1月1日、飛騨の位山をスタートしたウォークは東京のアメリカ大使館を経て渡米し再びアリゾナ、フラッグスタッフより歩き出し2月1日ビッグマウンテンに到着しました。2月1日というのは、このあたりに住むそのほとんどが長老たちに出された強制移住通達の最終期限日(デッドライン・デー)で、それは豊富な地下資源(石炭、ウラニウム、天然ガス…)を巡ってのことと言われています。 われわれウォークの一向も途中ウラン採掘跡地が多数放置された町でお世話になり、その現状を地元のディネの人たちから聞かされました。そこでは住民が一切危険なものと知らされず採掘に従事して被爆し、多くの人がガンや白血病で亡くなり、いまだにその掘ったウラン鉱跡地は埋め戻されることもなく放置されています。そのまわりには柵すらなく、露天掘りされたあとには水がたまり家畜の牛が水を飲みに来たり、時には子供たちもそのまわりで遊んでいると聞きました。放置されたウラニウムの混じった土は風に舞い、町中を覆い、いまだに人々が健康に支障をきたし続けています。 "ヒロシマ" から来たわれわれに何か良い治療法はないかと尋ねる人もありました。すでに1万人以上が強制移住され、毎年その大規模な石炭採掘エリアが拡大されているビッグマウンテンとその周辺および各インディアン・ネーションの置かれている現実をそこにみることが出来ます。正義と自由と民主主義を世界中に押し付けるアメリカの真のアメリカ先住民に対する実態がここにありました。 日本に帰ってより今度はヒロシマの火を運ぶウォークを行うことになりました。 ヒロシマの後、アメリカに帰ったトムはその想いをもとに、この地上から全ての核が廃絶されるまで歩き続ける、というウォークを呼びかけました。(ここに至るまでの詳しいストーリーはこのサイトにあるビッグマウンテン・ウォーク報告集、あとがきに代えて 〜 WALK NEVER ENDをご覧ください) http://www.walkinbeauty.net/lwbm/lwbm25.html アメリカ在住の日本山妙法寺の安田純庵主さん達のサポートのもと今年(2002年)1月15日よりシアトルを出発、核に痛めつけられた、そのほとんどがインディアンの大地を、世界中から集まった人種、宗教、世代を超えた人々により、一歩、一歩この火が運ばれています。奇しくも当初このウォークが計画されたときには起きていなかった、テロの現場となったニューヨークへこの火は向かっています。 スタートとなったシアトルのトライデント核ミサイル基地は元祖グラウンド・ゼロと呼ばれた場所で、目指すニューヨークのテロ現場はいま新たにグラウンド・ゼロと呼ばれています。グラウンド・ゼロとは核で何もかもが焼け野原になってしまった、という意味で使われるスラングです。冷戦下においてはソ連の核ミサイルがこのシアトルを照準としていたため使われた言葉だそうです。今回のテロの現場となったニューヨーク世界貿易センタービルは悲惨にも焼け崩れ多くの生命が奪われましたが、真の意味でのグラウンド・ゼロはヒロシマ・ナガサキであり、そしてウラン採掘や核実験で被爆したインディアンや他のくにの先住民の母なる大地そのものに他なりません。 グラウンド・ゼロからグラウンド・ゼロへ、真のグラウンド・ゼロの火が運ばれる。 ヒロシマ・ナガサキの願いが、ビッグマウンテンの祈りが、無数の人々、平和を祈るその "いのち" の想いが、核で痛めつけられた母なる大地を癒し、未来の世代につながる平和への確かな一歩となりますように。 IN BEAUTY, WE WALK. IN BEAUTY, WE WALK, IN BEAUTY, WE WALK.... つながるすべてのいのちのために HAL |
![]() |
|
![]() |